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明福寺みょうふくじ

天満寺町の一角に創建され、蓮如真筆名号を今に伝える真宗大谷派の古刹

寺院名 応龍山 明福寺(おうりゅうざん みょうふくじ)
所在地 大阪府大阪市北区同心1丁目10-15
宗派 浄土真宗大谷派(東本願寺)
山号 応龍山
本尊 阿弥陀如来
創建 江戸時代初期(1615年頃)
住職 第15世(2020年代時点の現住職)
寺宝 ・蓮如上人直筆六字名号(室町時代作)
・天正13年(1585年)顕如上人の裏書
※大阪市指定有形文化財

天満寺町の歴史と蓮如名号を今に伝える、約400年の歩みをもつ真宗大谷派の古寺

明福寺(みょうふくじ)は、大阪市北区同心に位置する真宗大谷派(東本願寺)の寺院で、創建は江戸時代初期・元和元年(1615年)頃と伝わります。戦国末期から安土桃山期にかけて本願寺教団が石山(現在の大阪城付近)に拠点を置いていた歴史を背景に、石山本願寺の系譜を引く真宗寺院の一つとして成立しました。

江戸幕府の大坂城下再編にともない、寺院は城下の外縁に集められ、天満東寺町・西寺町といった真宗寺院の集住地が形成されました。明福寺もその一角に伽藍を構え、以来約400年にわたり天満の地で門徒の信仰を支える存在となってきました。山号の「応龍山」は寺伝に基づき伝えられる名称で、寺の由来や守護仏にちなむと考えられています。

当寺の寺宝として特に重要なのが、蓮如上人直筆による六字名号(南無阿弥陀仏)です。天正13年(1585年)には第11世・顕如上人が裏書きを加えており、蓮如没後約100年の段階ですでに真筆として重んじられていたことがわかります。この裏書付き名号は全国的にもきわめて稀で、中世から近世初期にかけての本願寺教団の布教史を示す極めて重要な文化財です。大阪市は平成26年(2014年)にこの名号を市指定有形文化財として登録し、当寺の歴史的価値を広く認めています。

江戸時代、明福寺は東本願寺直属の末寺として門徒の葬儀・法事・報恩講などを担い、寺町における宗教拠点として機能しました。しかし天満一帯は火災が多く、とくに天保8年(1837年)の大塩平八郎の乱の際には寺町がほぼ全焼し、明福寺も堂宇を失ったと伝わります。その後、幕末までに再建を果たしましたが、昭和20年(1945年)の大阪大空襲では再び伽藍を焼失し、寺宝の名号など一部を除く建物は壊滅しました。

戦後、荒廃した寺地で復興が進められ、本堂・山門・庫裏は昭和30年代までに再建されました。再建本堂は鉄筋コンクリート造で、耐火性を重視した近代建築となっています。外観は伝統的伽藍とは異なりますが、機能性と安全性を備えた現代的寺院として整備され、現在も門徒中心の法要や教化活動が続けられています。一般参拝は行われていませんが、歴史を物語る名号と共に、天満の地で静かに念仏の法灯を守り続ける寺院です。

  • 入母屋造風の山門と塀で囲まれた境内

    明福寺は市街地の住宅・ビルに囲まれた一角に位置し、南側正面には入母屋造風の山門が構えられています。門柱には「応龍山明福寺」と刻まれた寺号標が掲げられ、周囲を塀で画して寺域を示しています。

  • 戦後再建の近代的本堂

    山門を入ると、鉄筋コンクリート造の近代的な本堂が建ちます。外観は現代建築でありながら寺院風の意匠を取り入れており、内部は仏堂空間として整えられています。阿弥陀如来立像(または絵像)が本尊として安置され、蓮如上人筆の六字名号は法要時に内陣へ奉掲されます。

  • 本堂内部で営まれる法要と寺院活動

    本堂では、年中行事の法要、法話会、門徒の葬儀・法事などが行われます。荘厳された阿弥陀如来の御前で、浄土真宗寺院としての伝統的な儀式が受け継がれています。

  • 庫裡・書院・事務所を備えた複合施設構造

    本堂に付属して庫裡(住職・寺族の住まい)、書院、事務所などの機能を持つ建物が整備され、寺務や寺族の生活が一体的に営まれています。都市部の寺院として実用性の高い構成を採用しています。

  • 墓地・納骨堂などの供養施設

    敷地規模の制約から屋内型の納骨壇形式と推測される永代供養施設が整備されており、門徒・檀家の遺骨を預かっています。境内奥には歴代住職の墓碑や顕彰碑が置かれている可能性もあります。

  • 寺宝と寺院文化の継承

    建造物自体に文化財指定はありませんが、蓮如筆六字名号のほか、仏教絵画や古文書などの寺宝を所蔵していると考えられています。非公開寺院ながら、歴史的価値を今に伝えています。

  • 地域会館としての役割も担う現代寺院

    明福寺は寺院会館的な活動も展開しており、音楽教室(ピアノ)、書道、華道、ヨガなどの講座を開催。仏事以外でも地域交流の拠点として活用されており、都市型寺院の新しい姿を示しています。

明福寺のあゆみ

  • 1585年
    (天正13年)

    顕如による裏書き名号の誕生

    本願寺11世・顕如が、蓮如上人筆の六字名号に裏書きを行う。後に明福寺へ伝来する名号本尊の由来となる。

  • 1600〜1615年頃
    (慶長〜元和年間)

    明福寺の創建

    大坂・天満東寺町(現在の大阪市北区同心付近)に明福寺が創建されたとされる。山号は応龍山、浄土真宗寺院として地域に根付く。

  • 1837年
    (天保8年)

    大塩平八郎の乱で類焼

    天満の寺町が大火により壊滅し、明福寺も類焼。江戸末期までに堂宇が再建され、寺院としての機能が回復された。

  • 1945年
    (昭和20年)

    大阪大空襲で伽藍焼失

    戦災により本堂以下の伽藍を失う。ただし、蓮如上人筆の六字名号掛軸など寺宝は難を逃れ、戦後の寺院再興の象徴となった。

  • 1955年前後
    (昭和30年代)

    本堂・山門・庫裏などの再建

    鉄筋コンクリート造の新本堂が落成し、山門・庫裏・納骨施設などの復旧も完了。戦後復興が大きく進んだ時期となる。

  • 2014年
    (平成26年)

    蓮如真筆名号の文化財指定

    蓮如上人の真筆で顕如裏書きの六字名号掛軸が、大阪市指定有形文化財に登録される。中世からの教団史を物語る貴重な資料として評価される。

  • 2015年
    (平成27年)

    創建400年

    創建400年を迎え、歴代住職は第15世に及ぶ。地域に根差した布教と社会活動を続け、現代の都市寺院として新たな役割を担っている。

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