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明善寺みょうぜんじ

大阪府大阪市住吉区にある、浄土真宗本願寺派の寺院。奈良時代伝来の油掛地蔵尊で知られる古刹

所在地 大阪府大阪市住吉区大領2丁目5-15
電話 06-6691-3157
宗派 浄土真宗本願寺派
山号 普光山
本尊 阿弥陀如来立像(旧西蓮寺本尊)
創建 天正元年(1573年)
文化財 石造地蔵菩薩立像「油掛地蔵尊」(奈良時代造立と伝承)
公式サイト https://myozen-ji.or.jp/

天正元年(1573年)に蓮如上人の直弟子が安堂寺橋筋に開創。
戦災を乗り越え住吉区大領に移転再興し、油掛地蔵尊の信仰を今に伝えている

大阪市住吉区大領に位置する明善寺は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)に属する寺院で、山号を普光山と称しています。創建は天正元年(1573年)で、本願寺第8世・蓮如上人の直弟子であった釋義教によって、大阪市中央区安堂寺橋筋(現・南船場1丁目付近)に開かれたのが始まりとなっています。本尊は阿弥陀如来立像で、戦後に河内国にあった西蓮寺(大阪府松原市)の旧本尊を迎え入れたものとなっています。

明善寺の最大の特色は、奈良時代の天平年間に造立されたと伝わる石造地蔵菩薩立像「油掛地蔵尊」の信仰です。江戸時代初期の元和年間に旧明善寺の境内から掘り出された石仏で、像の背面には「天平十一年造 安曇寺」との銘が刻まれていたと伝えられています。高さ約1.3メートルの地蔵尊で、参拝者が祈願成就の札に油をかける風習から「油掛地蔵」と呼ばれ、江戸時代には「浪花名所」として広く知られていました。

太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)3月、大阪大空襲によって明善寺の伽藍は全焼し、旧所在地一帯は焼け野原となっています。しかし奇跡的にも境内の油掛地蔵尊は戦禍を免れ無傷で残存したと伝えられています。戦後、明善寺は昭和35年(1960年)に現在の住吉区大領の地へ移転復興し、昭和46年(1971年)に鉄筋コンクリート造の本堂を再建しています。

油掛地蔵尊は旧地に残され、現在も大阪市中央区南船場1丁目の路傍の小堂にて地域住民の信仰を集めています。毎月24日には明善寺住職による月例の法要が現地で営まれており、遠方から訪れる参詣者の姿も見られています。本堂での一般拝観は寺院関係者以外にはできませんが、油掛地蔵尊を通じて地域に開かれた信仰活動を続けている寺院となっています。

  • 本堂

    明善寺の本堂は昭和46年(1971年)に再建された鉄筋コンクリート造の近代的な建物となっています。内部には本尊である木造阿弥陀如来立像と親鸞聖人の御影が安置されており、浄土真宗本願寺派の寺院らしく本堂内陣には阿弥陀如来の御影が祀られています。通常は寺院関係者以外の拝観はできません。

  • 油掛地蔵尊(旧明善寺境内)

    明善寺の歴史的遺産である油掛地蔵尊は、奈良時代の天平年間に造立されたと伝わる石造地蔵菩薩立像です。高さ約1.3メートルの地蔵尊で、長年にわたり油を注がれ続けた石仏は黒光りしています。現在は大阪市中央区南船場1丁目の路傍の小堂に安置され、病難除け・火難除けの霊験あらたかな地蔵尊として今も大切に祀られています。

  • 境内の佇まい

    明善寺の現在の境内は住吉区大領の住宅街の中にあり、戦後に移転再興された寺院としての落ち着いた佇まいを見せています。鉄筋コンクリート造の本堂を中心に整えられた境内は、天正元年の開創以来450年の歴史を持つ寺院の新たな歩みを感じさせる空間となっています。

明善寺のあゆみ

  • 1573年
    (天正元年)

    蓮如上人の弟子・釋義教が安堂寺橋筋に明善寺を開創

    浄土真宗本願寺派の僧侶で蓮如の直弟子であった釋義教によって、摂津国安堂寺橋筋の地に明善寺が建立されています。以後、大坂・船場地域の門徒の拠点寺院として発展しています。

  • 1615〜1624年
    (元和年間)

    古代石仏の油掛地蔵尊を境内で発見し安置

    江戸時代初期の元和年間、明善寺の境内で古い石造地蔵菩薩像が地中から掘り出されています。像の背面には「天平十一年造 安曇寺」との銘が刻まれていたと伝えられ、この地にかつて存在した古代寺院・安曇寺ゆかりの仏であることが判明しています。以後「油掛地蔵尊」として庶民の信仰を集めるようになっています。

  • 江戸時代中期

    浪花名所として油掛地蔵尊の信仰が広まる

    油掛地蔵尊は難病平癒を願って石仏に灯明の油を注ぐ風習が広まり、「浪花名所」として広く知られるようになっています。病難除け・火難除けに霊験あらたかな地蔵尊として大坂・船場の町人らに厚く信仰されています。

  • 江戸時代後期

    船場の門徒を支える拠点寺院として繁栄

    江戸時代後期には明善寺は安堂寺橋筋の地で門徒の信仰を支える拠点寺院として繁栄しています。油掛地蔵尊への参詣者も絶えず、浄土真宗の信仰と地蔵信仰が共存する独自の寺院として親しまれています。

  • 1868年
    (明治元年)

    明治維新と近代への移行

    明治維新を迎え、大阪の都市構造が大きく変化する中、明善寺は安堂寺橋筋の地で引き続き門徒の信仰を支え続けています。油掛地蔵尊への信仰も途絶えることなく、近代社会の中でも地域の人々に親しまれています。

  • 1945年
    (昭和20年)

    大阪大空襲で堂宇を焼失、油掛地蔵尊のみ残存

    太平洋戦争末期の大阪大空襲により、安堂寺町にあった明善寺の本堂以下すべての建物が焼失しています。しかし境内に祀られていた油掛地蔵尊の石仏は戦災にも耐え抜き、焼け跡に無事残存しています。本尊の阿弥陀如来像は失われましたが、戦後に西蓮寺から譲り受ける形で補われています。

  • 1960年
    (昭和35年)

    現在地の住吉区大領に移転し寺基を再興

    戦後、明善寺は大阪市中心部から住吉区大領に移転し、新たな寺基を構えています。門信徒の支えによって寺院の復興が進められ、河内国の西蓮寺(大阪府松原市)から迎えた阿弥陀如来像を本尊に据えて信仰を継続しています。

  • 1971年
    (昭和46年)

    鉄筋コンクリート造の本堂を再建

    住吉区大領の地に鉄筋コンクリート造の近代的な本堂が再建されています。内部には本尊の阿弥陀如来立像と親鸞聖人の御影が安置され、門信徒の法要や葬儀の場として機能する新たな伽藍が整えられています。

  • 現在
    (令和時代)

    油掛地蔵尊の信仰を今に伝える寺院として

    現在も明善寺は住吉区大領の地で門信徒の信仰を支え続けています。油掛地蔵尊は旧地の大阪市中央区南船場に残されており、毎月24日には明善寺住職による月例法要が営まれています。戦災を乗り越えた油掛地蔵尊の信仰を守り伝える寺院として、地域に開かれた活動を続けています。

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