所在地 | 大阪府箕面市桜ヶ丘4丁目19-7 |
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宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
山号 | 紅葉山 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建 | 江戸時代初期頃(新稲村の成立期) |
開基 | 不詳(地域の浄土真宗門徒による創建と伝わる) |
新稲寺は、箕面市北部の新興住宅地・桜ヶ丘に古くから根付く浄土真宗の寺院です。寺号の「新稲」は所在地である新稲(にいな)地区に由来しますが、寺名の読みは「しんとうじ」とやや特殊で、地元でも知らない人が多いようです。江戸時代初頭にこの地(新稲村)が開拓された当時、地域の門徒によって道場が開かれたのが始まりと考えられ、以来何世代にもわたり地域住民の信仰を支えてきました。
新稲寺の本堂外観は、平成3年(1991年)に鉄筋コンクリート造で建て替えられており、赤い柱と伝統的な屋根瓦を持つ近代的な堂宇となっています。周囲は桜ヶ丘図書館や住宅が建ち並ぶ静かな環境で、境内に一歩足を踏み入れると日常の喧騒を離れた落ち着きを感じられます。
本堂内部には浄土真宗寺院らしく阿弥陀如来をご本尊とする荘厳な内陣が配され、金色に輝く欄間や宮殿(くうでん)が目を引きます。浄土真宗本願寺派のお寺であるため、ご本尊阿弥陀如来の前には宗祖・親鸞聖人の掛け軸(御影)も安置されており、厳かな雰囲気の中で合掌礼拝することができます。檀信徒の方々にとっては日々の勤行や法要の場であり、その様子は地域の宗教文化を今に伝えるものです。
本堂(阿弥陀堂)は境内の中心に位置し、朱柱と白壁を基調とした外観は近代的でありながら寺院らしい威厳を感じさせます。平成3年の再建時に耐久性の高い鉄筋コンクリート造となりましたが、切妻造瓦葺きの屋根や軒下の装飾など随所に伝統的意匠が取り入れられています。内部の内陣には金色の荘厳具が据えられ、煌びやかな浄土真宗の仏間空間を拝観できます。普段は扉が閉じられていますが、法要の際には開放され、参拝者は畳敷きの堂内でお念仏を唱えることができます。
毎年大晦日には除夜の鐘が撞かれ、108つの鐘の音が静かな住宅街に響き渡ります。その厳かな音色は、新年を迎える地域の風物詩ともなっています。また境内には歴代住職の碑や地蔵尊などの石仏がひっそりと祀られており、寺の長い歩みを物語っています。小規模ながらも整えられた境内は清潔感があり、訪れる人は地元の方々によって大切に維持管理されていることを感じるでしょう。
17世紀初頭
(江戸時代初期)
新田開発に伴い新稲村が成立。当時の門徒たちにより浄土真宗の道場が開かれ、新稲寺の起源となる。以後、真宗本願寺派の寺院として地域に根付き信仰を集めた。
19世紀後半
(明治時代)
廃仏毀釈などの激動期を経ても寺は存続。檀家制度の廃止後も地域住民の精神的支柱として機能し、明治政府の宗教政策下で寺院財産の整理等を経験した。
20世紀初頭
(大正〜昭和前期)
桜ヶ丘地区で宅地開発が進み洋風建築の住宅街が形成される中、寺は変わらず法灯を守り続けた。戦前・戦中も地域の人々の心の拠り所であり続け、第二次世界大戦中も箕面は空襲被害が少なく寺も難を逃れた。
1960〜70年代
(昭和後期)
桜ヶ丘・新稲エリアがベッドタウンとして発展。人口増加に伴い檀信徒も増加し、寺院活動が活発化。本堂は寺子屋的な子供会や地域の集会場としても利用された。
1991年
(平成3年)
老朽化した本堂の建て替え工事が完了。鉄筋コンクリート造2階建ての新本堂が落成し、防災・耐震性が向上するとともに収容力も増大。地域行事の会場としても利用可能な近代的設備を備えた。
1990年代以降
(平成〜令和)
新しい本堂のもとで報恩講や盂蘭盆会など年中行事を継続。高齢者への傾聴法話会や子供向けの夏休み寺子屋体験などを実施し、地域に開かれた寺づくりを進める。令和期に入り再開発が進む中でも、静かな環境と伝統を守りつつ現代社会に対応した活動を展開している。