| 寺院名 | 妙安山 成覚寺(じょうかくじ) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市西淀川区野里2丁目14-27 |
| 山号 | 妙安山 |
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺系) |
| 本尊 | 阿弥陀如来(方便法身阿弥陀如来画像) |
| 開基 | 橘善左衛門(証如上人の直弟子) |
| 創建 | 天文元年(1532年・伝承) |
| 文化財 |
大阪市指定有形文化財 「成覚寺真宗関係史料」 (方便法身阿弥陀如来画像〔永正7年(1510年)実如筆裏書付〕ほか2点) |
| アクセス |
JR東西線「御幣島駅」より徒歩約8分 阪神本線「姫島駅」より徒歩約7分 |
成覚寺は、戦国時代の天文元年(1532年)に創建されたと伝えられる浄土真宗本願寺派の寺院です。創建以前、この地には真言宗の寺院が存在していましたが一時荒廃し、その後、河内国玉櫛庄出身の橘善兵衛の次男・善左衛門が当地に移り住み、再興に尽力したと伝えられています。善左衛門は本願寺第10世・証如上人に帰依して得度し、妙安山成覚寺を開山しました。
この開創は、蓮如上人以来、本願寺教団が摂津・河内地域へ教線を拡大し、各地に門徒の道場を設けていった流れの中に位置づけられます。成覚寺も当初は地域門徒の惣道場(道場寺院)として誕生し、信仰の拠点となりました。開創当初より本尊として阿弥陀如来の画像本尊(方便法身阿弥陀如来画像)を安置しており、この画像は16世紀初頭の作とされ、裏書には永正7年(1510年)に本願寺第9世・実如上人が揮毫した旨が記されています。
この阿弥陀如来画像は、もともと野里の北東に位置する佃村に下付された本尊と伝えられ、修復時に添えられた裏書から佃ゆかりの画像であることが確認されています。室町時代の中世絵像が現存する例は大阪市内でも希少であり、成覚寺に伝わる阿弥陀如来画像は極めて貴重な文化遺産となっています。
江戸時代以降、成覚寺は西本願寺(本願寺派)に属する寺院として地域に根付き、門信徒の信仰の中心として歩んできました。明治維新後の廃仏毀釈などの困難も乗り越えて寺観を維持し、第二次世界大戦の大阪大空襲による戦災も免れたと伝えられています。平成以降は寺宝の保存にも力を入れ、平成22年(2010年)には阿弥陀如来画像を含む「成覚寺真宗関係史料」2点が大阪市指定有形文化財(歴史資料)に指定され、寺院の歴史的価値が改めて認識されることとなりました。
成覚寺の山門は木造瓦葺きで、規模は大きくありませんが、浄土真宗本願寺派寺院らしい落ち着いた佇まいを見せています。門脇には「浄土真宗本願寺派 妙安山 成覚寺」と刻まれた石標が立ち、門扉には本願寺門徒を象徴する菊水紋の金具が配されています。欄間彫刻など細部にも意匠が凝らされ、寺の歴史を静かに伝えています。
境内奥に建つ本堂は、伝統的な浄土真宗寺院様式の木造建築で、正面に軒唐破風を備えた堂々とした外観を有しています。内部の須弥壇中央には本尊・阿弥陀如来画像が安置され、金箔や欄間彫刻で荘厳された内陣が整えられています。法要や行事の際には、浄土真宗の厳かな勤行が営まれます。
本堂の側には鐘楼堂があり、梵鐘が吊るされています。除夜の鐘などの行事では、この鐘が撞かれ、境内に響く音色が新年の訪れを告げます。質朴な造りながら、長い寺史を見守ってきた存在です。
境内には石仏や歴代住職の墓碑が点在し、成覚寺の長い歴史を物語っています。境内墓地には、開基とされる橘善左衛門の一族や古くからの門徒の墓があると伝えられ、地域における信仰の広がりを感じることができます。
春秋の彼岸会などの折には、多くの門徒が参詣し、本堂で勤行が営まれます。現在も成覚寺は、地域に根差した浄土真宗の信仰の場として静かに息づいています。
1510年
(永正7年)
本尊と伝わる方便法身阿弥陀如来画像が制作されました。裏書には本願寺第9世・実如の筆跡と年号が記されており、もとは摂津国佃村に下付された御影であったと伝えられています。
1532年
(天文元年)
橘善左衛門が本願寺第10世・証如上人の直弟子となり、妙安山成覚寺を創建(再興)しました。以後、石山戦争期を含め、本願寺教団の一拠点として地域門徒を擁護しました。
1602年
(慶長7年)
東西本願寺の分立に伴い、西本願寺(本願寺派)に所属する寺院となりました。以降、「西淀川組」に属し、教線を維持します。
1868年
(明治元年)
廃仏毀釈の風潮が及ぶ中でも、門徒の支えにより寺観が維持されました。阿弥陀如来画像をはじめとする寺宝も秘蔵され、難を逃れました。
1945年
(昭和20年)
大阪大空襲により西淀川区内でも被害が出ましたが、成覚寺本堂は戦災を免れたと伝えられています。戦後は地域復興とともに寺院活動を再開しました。
2010年
(平成22年)
「成覚寺真宗関係史料(方便法身阿弥陀如来画像ほか2点)」が大阪市指定有形文化財(歴史資料)に指定され、市内でも希少な中世由来の史料として評価されました。
令和時代
現在も地域の浄土真宗寺院として、報恩講や彼岸会などの法要、門徒教化活動を継続しています。歴史的文化財の保存・公開にも努め、地域の文化観光資源の一つとしての役割を担っています。