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引接寺いんじょうじ

大阪府大阪市住吉区にある、浄土真宗大谷派の寺院。中世堺ゆかりの由緒を持つ非公開の古刹

所在地 大阪府大阪市住吉区我孫子4丁目1-36
電話 06-6691-3040
宗派 浄土真宗大谷派
山号 勅定山
本尊 阿弥陀如来
創建 貞和3年(1347年)

南北朝時代の貞和3年(1347年)に堺の地で創建され、
時宗四条派の有力寺院として栄えた歴史を今に伝える寺院

大阪市住吉区我孫子に位置する引接寺は、浄土真宗大谷派に属する寺院で、山号を勅定山と称しています。その起源は南北朝時代に遡り、貞和3年(1347年)に勅定山引接寺として創建された由緒ある古刹と伝えられています。寺伝によれば、堺の豪商・三宅十五郎が父の病平癒を住吉大社に祈願したところ、夢のお告げで海中から無量寿仏(阿弥陀如来)を得たとされています。

祈願成就に報いるため三宅氏は伽藍七堂と四十余りの坊舎からなる大伽藍を建立し、招いた僧・俊澄(のちの智演上人)を開山として寺院を創始しています。開創にあたっては光明天皇の勅許を得て山号を「勅定山」、寺号を「引接寺」と定め、俊澄も勅命により「智演」の名を賜ったと伝えられています。

中世において引接寺は時宗四条派に属し、京都四条道場・金蓮寺の有力末寺として繁栄しています。尾張の円福寺、近江の浄信寺、摂津尼崎の善通寺と並んで四条派四箇本寺に数えられるほどの寺勢を誇りました。戦国期には細川晴元の擁立した足利義維が当寺に入って「堺公方」と称された歴史も持っています。

その後、江戸時代には寺地を堺市内に移して存続しましたが、明治6年(1873年)に廃仏毀釈の影響で廃寺となっています。しかし寺号は浄土真宗の寺院として受け継がれ、現在は大阪市住吉区我孫子に真宗大谷派の寺院「引接寺」として存続しています。あびこ観音(大聖観音寺)に隣接しており、長い歴史と信仰を今に伝える存在となっています。一般拝観は行っていません。

  • 山門

    引接寺の山門は切妻造瓦葺きの薬医門風の門で、正面上部の扁額に「真宗大谷派 引接寺」の寺号が掲げられています。周囲は住宅に囲まれており、門は常時閉ざされていて内部へ立ち入ることはできませんが、塀越しに静かな寺域を垣間見ることができ、長い歴史を秘めた寺であることが感じられています。

  • 本堂

    山門の内側正面に建つ本堂は、浄土真宗の寺院らしい木造瓦葺き平屋建ての堂宇です。内部には本尊として阿弥陀如来像が安置されていますが、秘仏のため一般には公開されていません。静寂な境内にひっそりと佇む本堂は、往時の繁栄を偲ばせる面影を今に伝えています。

  • あびこ観音との隣接

    引接寺の境内は隣接して大阪府内最古の観音霊場として知られる大聖観音寺(通称「あびこ観音」)と接しています。大聖観音寺は神亀2年(725年)に行基が創建し、弘仁年間に弘法大師空海が中興したと伝えられる古刹で、現在も一般参拝が可能となっています。引接寺は非公開ながら、この地域において長い歴史と信仰を伝える寺院となっています。

引接寺のあゆみ

  • 1347年
    (貞和3年)

    光明天皇の勅許を受け智演上人が開山

    南北朝時代の貞和3年、堺の豪商・三宅十五郎の祈願成就により、大和国出身の僧・俊澄(のちの智演上人)が招かれて堺の地に引接寺を創建しています。光明天皇の勅許を得て山号を「勅定山」と定め、伽藍七堂と四十余りの坊舎からなる大伽藍が建立されています。

  • 室町時代

    時宗四条派の有力寺院として繁栄

    引接寺は時宗四条派に属し、京都四条道場・金蓮寺の有力末寺として栄えています。尾張の円福寺、近江の浄信寺、摂津尼崎の善通寺と並んで四条派四箇本寺に数えられるほどの寺勢を誇り、中世都市・堺の発展とともに繁栄しています。

  • 戦国時代

    堺公方・足利義維が入寺

    戦国期には細川晴元の擁立した足利義維(義晴の弟)が当寺に入り、「堺公方」と称されています。政治の舞台ともなった引接寺でしたが、堺公方政権は瓦解し、寺も一時衰退を余儀なくされています。

  • 江戸時代

    堺から寺地を移して存続

    その後、江戸時代には寺地を現在の堺市立少林寺小学校付近に移して存続しています。中世の栄華からは大きく規模を縮小しましたが、地域の信仰の場として法灯を守り続けています。

  • 1873年
    (明治6年)

    廃仏毀釈の影響で廃寺に

    明治維新期の廃仏毀釈の影響により、明治6年に引接寺は廃寺となっています。寺に祀られていた松風社(末社)は堺・関口神社へ遷座され、寺宝の多くは堺区中之町東の正法寺に託されています。

  • 1945年
    (昭和20年)

    戦災による被害

    太平洋戦争末期の1945年の戦災により、正法寺に託されていた寺宝の多くが焼く失われています。こうして一度は歴史の舞台から姿を消した引接寺でしたが、その寺号は浄土真宗の寺院として受け継がれることになっています。

  • 戦後〜昭和時代

    浄土真宗大谷派の寺院として我孫子の地で再興

    廃寺後、引接寺の寺号は浄土真宗大谷派の寺院として受け継がれ、大阪市住吉区我孫子の現在地に新たな寺基が構えられています。あびこ観音(大聖観音寺)に隣接する地で、長い歴史の名を持つ寺院として再出発しています。

  • 現在
    (令和時代)

    中世堺の栄華を伝える非公開の古刹として

    現在も引接寺は住吉区我孫子の地に静かに佇み、南北朝時代以来の由緒ある寺号を守り続けています。一般拝観は行っていませんが、門前から境内の様子をうかがうことができ、あびこ観音とともに長い歴史と信仰を伝える存在となっています。

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