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常楽寺じょうらくじ

刀根山城跡の高台に佇み、存覚上人ゆかりの歴史を伝える浄土真宗本願寺派の古刹

所在地 大阪府豊中市刀根山元町9-21
TEL(代表) 06-6852-6022(同敷地の正安寺・代表回線。現地掲示や寺務所の最新情報を優先してください)
宗派 浄土真宗本願寺派(西本願寺)
山号 豊嶋山(とよしまやま)と伝承
別称 刀根山御坊(とねやまごぼう)
由緒(概略) 伝・貞治2年(1363)存覚上人が豊島庄北轟木(現・池田市)に一宇を創建、のち刀根山へ移転。
公式・基礎情報 本願寺大阪教区(北御堂)寺院データ。
周辺の指定文化財 麻田藩陣屋門(刀根山元町5-27)〈豊中市指定有形文化財〉 — 境内至近の歴史建造物。

江戸期には中本山格として栄え、今も地域の歴史・文化・信仰をつなぐ「刀根山御坊」として親しまれている

常楽寺は、刀根山城跡と伝わる高台に位置する浄土真宗(西本願寺)寺院で、現在も通称「刀根山御坊」として親しまれている地域の古刹である。 寺伝によれば、貞治2年(1363)に本願寺第三世覚如の長子・存覚が摂津国豊島庄(現・池田市付近)に一宇を建立したのが始まりとされ、後に刀根山へ移転したと伝わる。 ただし移転の時期については諸説あり、刀根山城が廃された江戸初期に現在地で体制を整えたとする研究もあり、こうした「伝承と史料のずれ」を現地で確かめられるのも、この寺を訪れる楽しみのひとつである。

江戸初期、常楽寺は本願寺門主一族が住持を務める要寺として重きをなし、“中本山”格に列して“末寺13・与力寺4”を擁したと記録されている。 さらに寛永18年(1641)には、摂津十三日講の「最初の大寄講(お国寄)」が刀根山御坊(常楽寺)で開かれ、地域の真宗教団史において象徴的な舞台となった。 今日も境内にはその歴史を物語る由緒碑や顕彰碑が点在し、周辺には能勢妙見宮参詣道の道標も残されている。寺域自体が刀根山城跡の地勢を感じられる歴史的散策スポットとなっており、歴史と信仰、そして地域の文化が重層的に息づく名刹である。

  • 伽藍(本堂・山門・鐘楼)

    本堂(阿弥陀堂) 中心伽藍で、古記録には文政10年(1827)「更に再建」との記述が見られる。近代以降の修補を経て現在に至り、内陣には阿弥陀如来を安置。 城跡の高台に建つため、正面からは御坊の歴史的スケールを感じ取ることができる。
    山門(表門) 参道正面に建ち、門前に「下馬札」を立てたとの由緒が境内碑に刻まれている。江戸期には御坊の威儀を象徴する存在であり、札場と街道の関係を学ぶ好例でもある。
    鐘楼・梵鐘 年末には除夜の鐘が撞かれ、地域に親しまれている。銘文の年代資料は未確認ながら、御坊の“音風景”として風情ある存在。
    鑑賞ポイント:①本堂=江戸後期再建の痕跡(柱・斗栱)/②山門=“下馬札”伝承碑を確認/③鐘楼=行事体験としての価値。

  • 石碑・史跡(境内)

    刀根山御坊由緒碑 存覚創立・下馬札・菊紋などの伝承をまとめた石碑。刻文には「当境内地は織田信長が築いた刀根山城跡」とあり、城跡伝承を可視化する史料。 ただし「約六百年以前」など年数表現に誤りがあり、現地では修正跡も確認されている。
    園井東庵(そのい・とうあん)顕彰碑 江戸後期に麻田藩青木氏の御典医として仕え、“豊中の赤ひげ”と称された名医。1935(昭和10)年に建立された顕彰碑が現存し、医療史と人物史の入口として貴重な資料である。

  • 環境・周辺(城跡地形/道標/市指定文化財)

    刀根山城跡の高台 御坊(常楽寺)と隣接する正安寺一帯が本丸跡に比定される。遺構は乏しいが、地形そのものが史跡であり、現地観察により城跡の姿を想像できる。
    能勢妙見宮参詣道の道標(二基) 刀根山元町の路傍に二基の石標が残る。一つは大形道標、もう一つは天保7年(1836)に木下道賢が再建したもので、「右大坂/左桜井」などの刻字が残る。 教育委員会監修の「景観まちあるき」資料にも記載されている。
    麻田藩陣屋門〈市指定有形文化財〉 入母屋造の屋敷門形式で、両脇に居間や潜り口、番所張出を備える。昭和62年(1987)に豊中市指定。 藩主青木氏の家紋「州浜」を瓦に見ることができ、江戸末の武家建築の貴重な遺構である。

  • 寺宝・文化財

    境内の石碑群(由緒碑・顕彰碑)は、史実の“入口”となる一次資料であり、伝承と近年の研究成果を現場で読み分ける鑑賞が重要。 周辺の麻田藩陣屋門(市指定)は、御坊の門前空間と藩政期の統治構造を関連づけて理解できる教材でもある。 なお、常楽寺の本堂や仏像などは現時点で公的指定を受けておらず、最新情報は現地掲示や寺務所で確認する必要がある。

常楽寺のあゆみ

  • 貞治2年(1363)〔伝〕

    創建(豊嶋山常楽寺)

    存覚上人が豊島庄(現・池田市付近)に一宇を創建し、「豊嶋山常楽寺」と号す。浄土真宗の念仏道場として開かれたのが始まりとされる。

  • (移転時期諸説)

    刀根山への移転

    刀根山への本格移転は刀根山城廃絶後の江戸初期とする説が有力。寺伝では長禄3年(1459)頃の移転とする記述もあり、複数の説が並立する。

  • 天正6年(1578)前後

    刀根山城の築城と御坊の地勢

    刀根山城が築かれたと伝わり、現在の常楽寺・正安寺一帯が本丸跡に比定されている。御坊が城跡上に位置するという特異な立地が形づくられた。

  • 江戸初期

    中本山格への昇格

    刀根山御坊(常楽寺)は本願寺門主一族が住持する要寺として重きをなし、“中本山”格に列し、末寺13・与力寺4を擁したと伝えられる。

  • 寛永18年(1641)

    摂津十三日講・最初の大寄講

    摂津十三日講の最初の大寄講(お国寄)が刀根山御坊(常楽寺)で開かれ、本山より使僧を迎えて盛大に執行。地域の真宗教団史における象徴的な出来事となった。

  • 文政10年(1827)

    本堂の再建

    古記録に「本堂更に再建」との記述が見られ、江戸後期の再建を裏付ける。現本堂には当時の柱痕跡や意匠が伝わる。

  • 昭和62年(1987)

    麻田藩陣屋門の市指定文化財化

    近隣の麻田藩陣屋門が豊中市指定有形文化財(建造物)に指定。御坊周辺の歴史的景観の保存が進む契機となった。

  • 令和時代

    史跡・文化財の再評価

    境内の由緒碑や園井東庵顕彰碑、二基の道標が城跡・街道の歴史を伝える学習資源として再評価されている。地域史・教育・観光の場としても注目を集める。

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