所在地 | 大阪府箕面市粟生外院2-14-11 |
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山号 | 宝生山 |
宗派 | 真言宗(高野山真言宗) |
本尊 | 帝釈天(たいしゃくてん) |
創建 | 推古天皇期(6~7世紀頃) ※伝・聖徳太子創建 |
中興 | 慶安2年(1649年) – 僧・秀栄による再興 |
札所 | 摂津国八十八箇所霊場 第52番札所 |
文化財 | 絹本著色愛染明王像(室町時代) – 箕面市指定有形文化財 |
HP | taishakuji.or.jp |
大阪府箕面市の閑静な里山に佇む帝釈寺は、高野山真言宗に属する古刹です 。寺伝によれば聖徳太子が推古天皇の御代(6~7世紀頃)に創建したとされ、平安時代の貞観年間(859~877年)には清和天皇が近隣の勝尾寺へ行幸した際に当寺に宿泊し、山上の勝尾寺を「都卒の内院」、当地の寺を「外院」と称したと伝えられます 。この故事にちなみ、寺の所在地である「粟生外院(あおげいん)」の地名も生まれたといいます 。本尊として祀られている帝釈天(インドラ)は仏教の護法善神で、当寺では聖徳太子自らが一刀三礼の作法で刻んだ霊像との伝承があります 。さらに弘法大師(空海)作と伝わる毘沙門天像・弁才天像も安置され、かつては三尊を祀ることから「三天寺」とも呼ばれた時代もありました 。 帝釈寺の魅力は、歴史的遺産と豊かな自然環境の調和にあります。江戸時代初期の慶安2年(1649年)に秀栄上人によって再興されて以来、現在の本堂など伽藍の多くは江戸期以降の趣を伝えています 。本堂には前述の帝釈天立像をはじめ貴重な仏像群が安置され、室町時代作の愛染明王像(掛軸絵画)は箕面市指定の有形文化財にも指定されています 。寺院は地域の人々にも信仰を集め、摂津国八十八箇所霊場の第52番札所として多くの巡礼者も訪れます 。境内にはソメイヨシノをはじめ四季折々の花々が彩りを添え、新緑や紅葉の季節には周囲の里山風景と相まって美しい景観を楽しめます 。特に春の桜や初夏の紫陽花などは訪れる人々の目を楽しませ、写真愛好家にも密かな人気スポットとなっています。
再興以来の歴史を伝える本堂には、帝釈天立像(本尊)が安置されています 。伝承によればこの帝釈天像は聖徳太子の自作とされ、堂内には弘法大師ゆかりと伝える毘沙門天・弁才天の像も祀られています 。本堂正面の向拝(こうはい)には龍の彫刻が施され、その上には注連縄が張られて神聖な結界を示しています(これは注連縄の両端を太く仕上げ、龍の頭と尾を表現した特別な意匠とのことです)。江戸期の再建当初、当寺は僧坊23宇を擁する大伽藍だったと伝えられます が、現在はこぢんまりとしつつも風格ある本堂と山門、鐘楼などが整然と配置されています。山門をくぐると静かな境内に清浄な空気が漂い、参道脇には石仏や祠が点在して参拝者を迎えます。鐘楼には昭和40年(1965年)頃に地域の人々とともに鋳造し直した梵鐘が吊るされており、その音色は毎日朝夕6時に近隣に時を告げています 。大晦日にはこの鐘を108回撞く除夜の鐘が行われ、人々は1年の感謝と新年の平安を祈りながら荘重な音を響かせます 。
593年頃
(推古天皇朝)
聖徳太子が当地に伽藍を建立し、帝釈寺を創建。
859~877年
(貞観年間)
清和天皇が勝尾寺へ行幸の際に当寺に宿泊。山上の勝尾寺を「都卒の内院」、当寺を「外院」と称するようになる。
1467年以降
(応仁の乱期)
応仁の乱の戦火に巻き込まれ諸堂が焼失し、以後寺勢が衰退。
1649年
(慶安2年)
僧・秀栄が入寺して伽藍を再建し、寺運を再興。
江戸時代
(近世)
往古は大伽藍を構え、僧坊23宇を有する隆盛期を迎える。庶民の信仰を集め、「三天寺」とも称された。
1945年頃
(昭和20年)
太平洋戦争末期、村人に親しまれた梵鐘を金属供出のため徴用。
1955年頃
(昭和30年)
樹齢約1200年とされる「帝釈天降臨の松」が老朽化により伐採される。後に鎮守社を建立し、松の根を祀る。
1965年頃
(昭和40年)
梵鐘を再鋳造して復元。村人総出で鋳造に立ち会い、現在の鐘楼の鐘として復活。
1993年
(平成5年)
室町時代作の「絹本著色愛染明王像」が箕面市指定有形文化財に指定される。