所在地 | 大阪府豊中市熊野町2-4-2 |
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宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
本尊 | 阿弥陀如来(浄土真宗のご本尊) |
創建 | 江戸時代初期(慶長年間頃)、地域の門徒により開かれる |
拝観 | 境内自由(拝観料不要、定められた開門時間なし) |
アクセス | 北大阪急行電鉄「桃山台駅」より約1.5km(徒歩18分) 阪急バス「熊野町」停留所下車徒歩3分 |
専宗寺(せんそうじ)は、大阪府豊中市熊野町にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院である。 江戸時代初頭、地域の門徒によって開かれたと伝えられ、創建当初から阿弥陀如来をご本尊として親鸞聖人の教えを伝えてきた。 寺伝によれば、慶長17年(1612年)頃に本願寺第十二世・准如上人から法名を授けられ、柳恵上人の法系に連なる僧によって「多聞山専宗寺」が建立されたという。 以来、北摂・熊野の地に根付き、地域の浄土真宗信徒の拠り所として発展してきた。
専宗寺が所在する熊野町(熊野田)一帯は、平安時代から宗教的な由緒をもつ土地である。 今から約1000年前、花山法皇が僧・佛眼上人とともにこの地を訪れた際、地形が紀州熊野に似ていたことから寺社を建立し、「熊野に代わる霊地」としたと伝わる。 その際に創建された宝珠寺(熊野代山宝珠寺)と八坂神社は今も近隣に残り、この地域は「北摂の熊野」として長く信仰を集めてきた。 専宗寺はこの歴史的背景の中で江戸期に新たな浄土真宗の道場として誕生し、熊野の名を受け継ぐ土地において信仰の灯を守り続けている。
現在の専宗寺は、大都市近郊の住宅地にありながら、往時の面影を残す静かな佇まいを保っている。 境内は自由に出入りでき、地域の人々が日常的にお参りや散策に訪れる憩いの場ともなっている。 観光寺院のような派手さはないが、地元の人々の信仰に支えられた素朴な寺院であり、熊野町周辺を訪れる旅行者にとっても地域の歴史と文化を感じられるスポットである。 門徒や地域住民に寄り添いながら、専宗寺は今も静かにその法灯を守り続けている。
専宗寺の山門は質素ながらも地域に開かれた印象を与える佇まいで、参拝者を静かに迎える。 門をくぐると石畳の参道が伸び、その先に本堂が建ち、落ち着いた真宗寺院の景観が広がる。 山門前には地蔵石仏を集めた「寄せ地蔵」の祠があり、道中安全や子どもの成長を祈る人々が手を合わせる姿も見られる。
入母屋造木造平屋建ての本堂は、瓦葺き屋根の下に金色に輝く阿弥陀如来像を安置する。 内部には親鸞聖人の掛軸や荘厳な須弥壇が設けられ、朝夕の勤行や年中法要が行われる。 現在の建物は近代以降に改築されたものだが、木の梁や柱に伝統建築の風情が残り、静けさと温かみを感じさせる。
本堂の左右には庫裡(くり)や客殿が配置され、寺務や法要準備が行われる。 境内の一角には墓地と納骨堂もあり、先祖代々の墓碑が整然と並ぶ。 お盆や彼岸の時期には多くの檀信徒が訪れ、法要や墓参が行われる光景が見られる。
門前にある「寄せ地蔵」の祠は、地元の人々に親しまれる信仰の場。 毎年8月下旬の地蔵盆には、子どもたちを中心とした仏事が行われ、地域の夏の風物詩として賑わう。 地蔵信仰が今も息づく姿は、専宗寺が地域社会に深く根付いていることを示している。
境内には樹木や草花が丁寧に手入れされ、小規模ながらも清潔で穏やかな空間が広がる。 春には花々が彩りを添え、秋にはモミジやイチョウが美しく色づく。 季節の移ろいとともに、訪れる人々に癒しと安らぎを与えている。
専宗寺自体は指定文化財を持たないが、周辺には貴重な歴史遺産が点在している。 すぐ近くの宝珠寺には南北朝時代建立と伝わる石造三重宝篋印塔があり、花山法皇と佛眼上人の墓塔と伝えられている。 また、飛鳥時代後期の金銅菩薩立像が伝来し、豊中市指定文化財として毎年8月3日に特別拝観が行われている。 これら周辺寺社と合わせて訪れれば、北摂・熊野田エリアの深い宗教文化を体感できるだろう。
慶長年間(17世紀初頭)
戦国期より浄土真宗の教えが広まっていた豊島郡地域において、本願寺の門徒であった人々によって寺院が建立。 開基当初は「多聞山専宗寺」と号し、阿弥陀如来を本尊に安置したと伝えられる。 以後、熊野田村の人々の厚い信仰を集める寺として発展。
明治7年(1874年)
明治政府の学制発布により、熊野田村に豊島郡第二区第二番小学校が開校。 当初は近隣の佛眼寺(曹洞宗)の観音堂を仮校舎として授業が行われた。
明治11年(1878年)
村の小学校が専宗寺西隣の敷地に移転し、「熊渓小学校」として再開校。 専宗寺本堂を借用して児童の教育が行われ、寺が地域教育に果たした役割がうかがえる。 多くの子どもたちが寺の境内で学び、寺は学問の場としても親しまれた。
大正2年(1913年)
熊野田尋常小学校が現在地(豊中市赤阪)に校舎を新築し、専宗寺での仮校舎運営を終了。 以降、専宗寺は再び宗教施設としての役割に戻る。
昭和戦後期(1945年以降)
高度経済成長期に周辺が宅地化。専宗寺も本堂や庫裡の改修を行い、都市近郊寺院として整備を進めた。 報恩講や地蔵盆など、地域に根差した行事が盛んに行われるようになる。
平成7年(1995年)
阪神・淡路大震災により豊中市でも被害が発生。 八坂神社の石造大鳥居が倒壊するなどの被害の中、専宗寺でも一部施設が損傷。 震災後に本堂屋根瓦の葺き替えや墓地の修繕などが行われた。
平成24年(2012年)
創建から約400年を迎え、記念法要や講演会が催される。 多くの門信徒が参集し、寺の歴史と歩みを振り返る節目となった。
令和時代(現在)
現在も月忌法要や報恩講、春秋彼岸会などの年中行事を続け、地域の人々が集う場として親しまれている。 希望者は法要への参列も可能で、住職や門徒による温かなもてなしが受けられる。 専宗寺は「開かれた寺院」として地域に寄り添い、信仰と文化を次世代へ伝えている。