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宝珠寺ほうしゅじ

花山法皇ゆかり、熊野信仰と観音信仰が息づく古刹

所在地 大阪府豊中市熊野町3丁目10-1
宗派 浄土宗(もとは真言宗)
山号 熊野代山(くまのだいざん)
院号 花山院(かざんいん)
本尊 聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)
創建 長徳年間(995~998年頃)
開基(創立者) 仏眼上人
札所 摂津国三十三箇所観音霊場 第30番札所

熊野の霊場を模して建立された、花山法皇ゆかりの古刹 ― 宝珠寺

宝珠寺は、平安時代中期の長徳年間(995~998年)に創建された古刹で、花山法皇の勅願により僧・仏眼上人が開基したと伝えられます。 花山法皇が西国各地の観音霊場を巡礼した際、この地の地形が紀州・熊野に似ていたことから「くす谷山」に熊野権現を勧請し、 熊野の霊場を模して堂宇を建立させたのが寺の始まりとされています。

この故事にちなみ、山号は「熊野代山(くまのだいざん)」と名付けられ、周辺の地名「熊野町(旧・熊野代村)」の由来にもなりました。 創建当初は真言宗の寺院でしたが、後に浄土宗へと改宗し、現在に至ります。 本尊の聖観音菩薩立像は平安後期の作とされ、伝説では行基菩薩の手によるものと伝えられています。 寺号「宝珠寺」は、仏教における霊験の象徴である「宝珠」にちなみ、人々の篤い信仰を集めてきました。

宝珠寺の境内は、神仏習合時代の面影を今に伝える点でも特筆されます。 寺域の麓には八坂神社(旧称:東山感心院祇園社)が鎮座し、平安時代以来、宝珠寺がその別当(管理寺院)を務めてきました。 八坂神社は牛頭天王(ごずてんのう)=素戔嗚尊を祀る祇園社であり、一方で熊野権現も祀られていたため、 熊野信仰と祇園信仰が融合した独特の霊場を形成していました。

明治維新の神仏分離以降も、宝珠寺は廃寺とならず八坂神社とともに存続し、 神社境内の高所に寺院が残るという全国的にも珍しい形態を現在まで伝えています。 小規模ながら地域の人々にとっては熊野権現・観音信仰の歴史を今に伝える心の拠り所であり、 また摂津国三十三箇所観音霊場の第三十番札所として、巡礼者が静かに祈りを捧げる古刹です。

  • 石造三重宝篋印塔(二基)

    本堂西側には、南北朝時代(14世紀)に造立された石造三重宝篋印塔が二基建っています。 それぞれ花山法皇と仏眼上人の墓塔であると伝えられ、高さは約2.3メートルに及びます。 昭和10年(1935年)に国の「重要美術品」に認定され、現在も往時の姿を保つ貴重な中世石塔として大切に保存されています。 穏やかな風化の中に、千年以上にわたる信仰の重みを感じさせる文化遺産です。

  • 聖観音菩薩立像と金銅菩薩立像

    本堂に安置される木造彩色の聖観音菩薩立像(本尊)と、寺に伝わる金銅菩薩立像の二体は、いずれも豊中市指定有形文化財です。 聖観音立像は平安後期の桧材寄木造による古像で、優美な姿と穏やかな面差しが見る者を魅了します。 一方、金銅菩薩立像は飛鳥時代後期の作と伝わり、像高約13cmの小像ながら市内最古の仏像として極めて貴重です。 この金銅仏は秘仏とされ、毎年8月3日午後に一度だけ一般公開される特別な仏像です。

  • ヤマモモの巨木(大阪府指定天然記念物)

    本堂裏手には、樹高約14メートル・幹回り約4.3メートルを誇るヤマモモの巨木がそびえています。 推定樹齢は300年ともいわれ、豊中市の保護樹木を経て、平成28年(2016年)に大阪府の天然記念物に指定されました。 四季を通して青々と葉を茂らせるその姿は、長い年月にわたり宝珠寺の歴史を静かに見守ってきた生き証人です。 根元には小祠が祀られ、周囲には六地蔵などの石仏も佇み、厳かな空気が漂います。

  • 熊野田八坂神社と神仏習合の景観

    宝珠寺の隣には熊野田八坂神社があり、立派な社殿と大鳥居、神木が境内を荘厳に彩ります。 寺と神社が隣接するこの配置は、神仏習合時代の名残を今に伝えるものです。 規模は小さいながらも、寺と社が共に息づく風景には、かつての信仰の形と地域の歴史が静かに重なり合っています。 境内は観光施設ではなく簡素ですが、長い年月を経た静寂の中に、訪れる人の心を和ませる温かな安らぎがあります。

宝珠寺のあゆみ

  • 995年(長徳元年)

    花山法皇の勅願による創建

    花山法皇の勅命により、僧・仏眼上人が当地に観音霊場を開き、熊野権現を勧請して宝珠寺を創建。 当初の宗派は真言宗で、熊野信仰と観音信仰が融合した霊場として栄えた。

  • 南北朝時代(14世紀)

    石造三重宝篋印塔の建立

    宝珠寺本堂西側に石造三重宝篋印塔(二基)が建立される。 それぞれ花山法皇および仏眼上人の墓塔と伝えられ、後世に至るまで寺宝として守られてきた。

  • 江戸時代

    摂津国三十三箇所観音霊場に指定

    宝珠寺は摂津国三十三箇所観音霊場の第三十番札所に定められる。 八坂神社(牛頭天王社)との神仏習合体制が続き、寺社一体で熊野田村の信仰を支えた。

  • 1868年(明治元年)

    神仏分離と存続

    神仏分離令により八坂神社と宝珠寺は制度上分離されるが、宝珠寺は廃寺とならず浄土宗寺院として存続。 神社境内に寺院が残る全国的にも珍しい形態として、神仏習合の名残を今に伝えている。

  • 1935年(昭和10年)

    石造三重宝篋印塔が重要美術品に指定

    宝珠寺の石造三重宝篋印塔(二基)が国の重要美術品に認定される。 現行法の「重要文化財」に準ずる指定であり、中世石塔として高い芸術的・歴史的価値を持つ。

  • 2008年(平成20年)

    文化財の指定

    宝珠寺所蔵の木造聖観音立像および金銅菩薩立像が、豊中市指定有形文化財(彫刻)に指定される。 特に金銅菩薩像は飛鳥時代後期の作と伝わり、市内最古の仏像として高く評価された。

  • 2016年(平成28年)

    ヤマモモの巨木が天然記念物に指定

    境内のヤマモモの古木が「寶珠寺のヤマモモ」として大阪府指定天然記念物に指定。 樹齢300年を超える巨木とともに、寺域の自然環境と歴史的景観の価値が改めて認められた。

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