| 所在地 | 大阪府大阪市住吉区住吉1-6-2 |
|---|---|
| 宗派 | 融通念仏宗 |
| 創建 | 天元5年(982年)源信開基伝承 |
| 文化財 | 住吉の十三仏 13躯一括(大阪市指定有形民俗文化財) |
宝泉寺は、大阪市住吉区住吉に位置する融通念仏宗の寺院です。住吉大社を中核とする宗教都市の周縁部に立地し、熊野街道に面して等身大の石造十三仏を祀る「路上の文化財」として独自の価値を持っています。住吉東駅から徒歩約2分の距離にあります。
行政の観光資料では、天元5年(982年)に天台僧・源信が開基した融通念仏宗寺院として紹介されています。融通念仏宗の開祖・良忍が融通念仏を感得したのは永久5年(1117年)であり、開基伝承との年代差は、念仏信仰が時代を超えて再編成されてきた住吉の信仰空間の特質を示しています。
最大の見どころは大阪市指定有形民俗文化財「住吉の十三仏」です。花崗岩製・等身大・銘記なしの丸彫り十三仏13躯が小堂に安置され、その小堂は熊野街道に東面しています。大阪市の文化財解説では、十三仏が忌日供養・死者供養と関連して祀られ、宗教都市住吉の周縁=境界に置かれた可能性が指摘されています。
また宝泉寺は「幽霊の片袖」伝説の発祥地としても知られています。元和3年(1617年)に箱根山の行者の前に現れた幽霊が、宝泉寺の道和上人への回向を依頼し、証として片袖を手渡したという物語です。片袖と香盒は現在、融通念仏宗総本山・大念佛寺に宝物として伝わっています。なお、宝泉寺は一般参拝不可のため、外観からの拝礼が中心となります。
花崗岩製・等身大の丸彫り十三仏13躯が小堂に安置されています。忌日供養・死者供養と関連し、宗教都市住吉の境界に置かれた供養の場として文化的価値が認められています。
十三仏を収める小堂は熊野街道に東面し、街道を行く者が供養の場を視界に入れられる配置です。都市宗教の開放性を語る独特の景観となっています。
元和3年(1617年)の幽霊譚は宝泉寺を起点に大念佛寺の宝物へとつながる物語です。片袖と香盒は大念佛寺に伝世し、毎年8月の「幽霊博物館」で公開されています。
天元5年
(982年)
天台僧・源信(恵心僧都)がこの地に草庵を結んだのが始まりと伝えられています。往生要集の著者として知られる源信ゆかりの寺院としての歴史が始まりました。
永久5年
(1117年)
融通念仏宗の開祖・良忍が融通念仏を感得しました。宝泉寺は後にこの宗派の系譜に組み込まれ、融通念仏宗寺院として再編されたと考えられています。
室町〜安土桃山時代
(16世紀)
観光資料では、元亀年間(1570〜73年)に旧住吉村字石本の巨石を刻んで十三仏が造立されたと伝えられています。ただし行政の文化財解説では江戸時代中期の作と推定されています。
元和3年
(1617年)
箱根山の行者の前に幽霊が現れ、宝泉寺の道和上人への回向を依頼し、証として片袖を手渡したという伝説が伝えられています。片袖と香盒は大念佛寺に宝物として伝世しています。
江戸時代中期
(18世紀)
大阪市の文化財解説では、住吉の十三仏の制作年代を江戸時代中期と慎重に推定しています。熊野街道に東面する小堂に花崗岩製の等身大像が安置されました。
江戸時代後期
(19世紀)
住吉大社を中核とする宗教都市の周縁部に位置する供養の場として定着しました。街道を往来する人々が足を止めて拝する祈りの場となっています。
近代
(明治〜昭和)
花崗岩製・等身大の丸彫り十三仏13躯が、忌日供養と死者供養に関わる都市宗教の遺産として評価され、大阪市指定有形民俗文化財に指定されました。
現在
一般参拝不可ながら、熊野街道に面する十三仏堂は外観から拝礼できる「路上の文化財」です。大念佛寺に伝わる「幽霊の片袖」と合わせて、住吉の信仰の物語を追体験することができます。