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定専坊じょうせんぼう

奈良時代の開創を起源に、浄土真宗の歴史を今に伝える天満の古刹

所在地 大阪府大阪市北区天満4丁目14-19
電話 06-6352-2637
宗派 浄土真宗本願寺派(西本願寺)
山号 横玉山
本尊 阿弥陀如来立像(室町時代作・高さ約1m)
創建 奈良時代(行基が開創と伝承)
文化財 ・「本願寺聖人親鸞伝絵(巻上)」〔南北朝時代作・国指定重要文化財〕(天満定専坊所蔵)
・定専坊真宗関係史料(中世文書類31点一括、大阪市指定有形文化財)

大阪・天満に息づく、浄土真宗本願寺派の古刹「定専坊」

定専坊は大阪市北区天満に寺地を構える浄土真宗本願寺派の寺院で、その歩みは中世以来、大阪の浄土真宗教団の歴史と深く結びついています。起源は奈良時代にまで遡り、高僧・行基が開いた真言宗寺院「西光寺」が前身とされます。1382年(永徳2年)、河内国赤坂城の落城後には楠木正成の孫・楠木正勝が隠棲の場としてこの寺に身を寄せたという伝承も残ります。

その後、楠木氏の子孫・掃部助(かもんのすけ)が本願寺第七世・存如に帰依して出家し、「浄願」の法名を授かって浄土真宗へ転じたことを契機に、寺は本願寺派へと改宗しました。蓮如の時代には諸堂の整備が進められ、寺勢はさらに高まりました。戦国期には石山合戦において本願寺方の拠点として活躍し、織田信長との戦いで三世住職・了顕が奮戦したことが『石山戦記』に記されています。

また、1499年(明応8年)には蓮如上人が晩年に本願寺継承者・実如を当寺に呼び寄せて遺言を伝えたとされ、その際の「一意専心」の精神にちなみ、寺号を「定専坊(一意専心坊)」と名付けたという伝承も残されています。江戸時代にかけては多くの末寺を擁し、大坂本願寺時代には「大坂六人坊主」の一つとして摂津地域における本願寺教団の要地を担いました。

現在、定専坊は一般参拝不可の非公開寺院ですが、寺宝として南北朝時代作「親鸞聖人伝絵(上巻)」や室町期の阿弥陀如来立像など貴重な文化財を伝えています。近年では大阪市の「大阪の歴史再発見」事業にて本尊が初公開されるなど、限られた機会に寺外で文化財が鑑賞されることもあります。浄土真宗の歴史舞台を彩った古刹として、今日も静かに天満の地にその歴史を息づかせています。

  • 鐘楼堂(石山本願寺ゆかりの梵鐘)

    境内(東淀川区豊里の伽藍)には、戦国期の石山本願寺で使用されていたと伝えられる梵鐘を吊るす鐘楼堂が残されています。定専坊が石山合戦をはじめ、本願寺方の歴史と深く関わってきたことを物語る象徴的な遺構です。

  • 五輪塔(楠木一族供養塔)

    楠木正勝および一族の供養のために建てられたと伝わる五輪塔が境内に安置されています。現在は東淀川区豊里の寺域に所在し、中世の物語を今日へ伝える貴重な存在として訪れる人に深い歴史の余韻を感じさせます。

  • 本尊・阿弥陀如来立像(室町時代作)

    本堂には室町時代に制作された阿弥陀如来立像が安置されています。秘仏ではありませんが、定専坊が一般非公開の寺院であるため通常は拝観できません。歴史的価値の高い仏像で、限定公開の折には大きな注目を集めます。

  • 本堂・庫裏の建築

    明治期の移転後に整えられた本堂や庫裏が残り、都市化が進んだ大阪市街地にありながら門前にはかつての寺町の静かな面影が漂います。文化財建造物としての指定はありませんが、寺院の長い歴史を今に伝える建築群です。

定専坊のあゆみ

  • 奈良時代

    行基による開創(西光寺)

    行基菩薩が当地に真言宗寺院「西光寺」を開いたと伝えられる。定専坊の前身とされ、淀川流域の古い信仰の歴史を物語る。

  • 1382年
    (永徳2年)

    楠木正勝の隠棲

    楠木正成の孫・楠木正勝が赤坂城落城後に西光寺(現・定専坊)へ隠棲。これを契機に本願寺(浄土真宗)との縁が生まれる。

  • 15世紀前半

    真言宗から本願寺派への改宗

    楠木氏の子孫・掃部助が本願寺第七世・存如に帰依して出家し、法名「浄願」を賜る。寺は真言宗から浄土真宗本願寺派に改宗し、文明年間に堂宇整備が進められた。

  • 1499年
    (明応8年)

    蓮如上人による寺号命名

    蓮如上人が当寺で嫡子・実如に遺言を伝えたとされ、「一意専心」の精神にちなみ寺号を「定専坊」と命名したと伝承される。

  • 1580年頃
    (天正年間)

    石山合戦での活躍

    定専坊三世・了顕が門徒を率いて本願寺方として織田軍と戦ったと『石山戦記』に記される。戦乱により堂宇が損傷した可能性もある。

  • 1647年
    (正保4年)

    寺運再興と寺号の定着

    江戸初期までに寺勢が再興し、この時期から正式に「定専坊」として寺号が広く用いられるようになる。

  • 江戸時代中期

    天満への分院建立

    第六世住職・信詮の代に大坂河内町(現在の大阪市北区天満)へ分院を建立。本寺(淀川流域)と兼務し、天満での浄土真宗布教の拠点となる。

  • 1900年
    (明治33年)

    本寺移転(淀川治水工事)

    淀川の治水工事により旧本寺所在地(東淀川区三番)が川底となったため、寺院を東淀川区豊里へ移転。以後、本堂は豊里に構え、天満4丁目の分院も引き続き寺籍として維持される。

  • 2006年
    (平成18年)

    史料の文化財指定

    「定専坊真宗関係史料」(中世文書類31点)が大阪市指定有形文化財に指定される。浄土真宗史の研究資料として高く評価される。

  • 2018年
    (平成30年)

    阿弥陀如来立像の初公開

    室町時代作の阿弥陀如来立像が「大阪の歴史再発見」特別公開にて初めて一般公開される(会場:山本能楽堂)。通常非公開の寺宝が注目を集める。

  • 現在

    豊里の本堂と天満寺地を継承

    東淀川区豊里の本堂では法要が続けられ、天満の寺地は宗教法人としての所在地となっている。一般参拝不可ながら、地域の浄土真宗史と文化財保存において重要な役割を担う。

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