関西の寺院3,000の歴史を取材
寺院343件の情報を掲載(2026年3月13日現在)

ホーム > 大阪府 > 定久寺

定久寺じょうきゅうじ

大阪府大阪市住吉区にある、真宗大谷派の寺院。安土桃山時代の文禄3年(1594年)に玉造の地で創建された400年超の歴史を持つ古刹

所在地 大阪府大阪市住吉区長居2-8-26
電話 06-6691-3155
宗派 浄土真宗大谷派
山号 大井山
本尊 阿弥陀如来
創建 文禄3年(1594年)

戦国期に了念が大阪・玉造に開創し、大阪大空襲で堂宇を失うも
戦後に住吉区長居の地で再建され、門信徒の信仰を守り続けている寺院

大阪市住吉区長居に位置する定久寺は、浄土真宗大谷派(東本願寺)に属する寺院で、山号を大井山と称しています。本尊として阿弥陀如来像を安置しており、文禄3年(1594年)に真宗僧侶の了念によって大阪・玉造の地に開創されたと伝えられています。安土桃山時代の創建から400年以上の歴史を有する古刹です。

定久寺は石山本願寺の戦い後の大阪において建立された真宗寺院であり、当初は本願寺(浄土真宗)の寺として周辺の門徒を擁し繁栄しています。江戸時代には大阪市中の多くの浄土真宗門徒の檀那寺となり、地域に根ざした寺院活動を展開しています。

太平洋戦争末期の1945年、大阪大空襲に見舞われ、玉造にあった定久寺の本堂以下すべての伽藍が炎上・焼失しています。戦火によって寺宝や記録類も多くが失われ、創建以来守られてきた堂宇は跡形もなくなっています。住職と門徒たちは戦後の復興を期して寺籍と信仰を守り抜いています。

戦後、玉造の旧所在地周辺は戦災復興都市計画により再開発が進んだため、定久寺は大阪市住吉区長居2丁目の現在地に移転して堂宇を再興しています。昭和20年代後半までに本堂など主要建物の再建が成り、寺院としての活動を再開しています。現在は一般向けの参拝や拝観は行っておらず、主に檀信徒の法要や葬儀など宗教行事の場としてその役割を果たしています。

  • 山門

    定久寺の入口にはシンプルな山門が構えられています。戦災後に再建されたため歴史的建造物としての古い意匠はありませんが、門前には寺号と宗派名が掲げられており、寺域であることを示しています。周囲は住宅地に囲まれており、門を入ると静かな境内空間が広がっています。一般参拝はできないため門は常時閉ざされています。

  • 本堂

    境内中央に建つ本堂は、戦後の再建時に新たに建立された堂宇です。木造平屋建て風の外観ながら堅牢な造りで、瓦葺きの屋根が寺院らしさを演出しています。内部には浄土真宗の本尊である阿弥陀如来像が安置されており、法要や仏事の際にのみ僧侶と檀家によって拝礼されています。

  • 墓地

    本堂裏手には寺院墓地があり、歴代門徒の墓碑や納骨堂が設けられています。定久寺は地域の檀那寺として古くから信徒の葬祭を担ってきた歴史があり、現在も近隣の門信徒の永代供養や墓所管理の役割を果たしています。境内の墓地には折々に檀家が訪れて先祖供養が行われています。

定久寺のあゆみ

  • 1594年
    (文禄3年)

    了念により大阪・玉造の地に定久寺を開創

    安土桃山時代の文禄3年、真宗僧侶の了念によって大阪城東部の玉造の地に定久寺が開かれています。石山本願寺の戦い後の大阪において建立された真宗寺院であり、当初は本願寺の寺として周辺の門徒を擁し、浄土真宗の信仰拠点として歩みを始めています。

  • 江戸時代前期

    真宗大谷派の末寺として発展

    江戸時代に入ると定久寺は東本願寺(真宗大谷派)の末寺として正式に寺格を整え、玉造周辺の檀那寺として門徒の信仰を集めています。大阪市中の浄土真宗門徒の拠点として法要や年中行事を通じて地域社会に根ざした寺院活動を展開しています。

  • 1704年
    (宝永元年)

    大和川の付け替えと大阪南部の変化

    大和川の流路が現在の位置に付け替えられ、大阪南部の地形と水利が大きく変化しています。後に定久寺が移転することになる住吉区長居周辺の地域環境もこの時期に形成されています。定久寺は玉造の地で変わらず門徒の信仰を支える寺院として機能し続けています。

  • 江戸時代後期

    門徒の暮らしに根ざした寺院運営

    江戸時代後期には大阪の町人文化が花開く中、定久寺も檀家からの支えを受けて寺院運営が安定しています。報恩講や年忌法要など大谷派の伝統行事が継承され、門徒の暮らしと信仰のリズムを支える存在として定着しています。

  • 1868年
    (明治元年)

    明治維新と廃仏毀釈の波

    明治維新後の神仏分離令や廃仏毀釈の影響が各地に及んでいますが、浄土真宗寺院は門徒の篤い支持に支えられて比較的被害が少なく、定久寺も存続しています。近代化の中で大阪の都市構造も大きく変貌を遂げています。

  • 1945年
    (昭和20年)

    大阪大空襲により堂宇がすべて焼失

    太平洋戦争末期の1945年3月の大阪大空襲に見舞われ、玉造にあった定久寺の本堂以下すべての伽藍が炎上・焼失しています。戦火によって寺宝や記録類も多くが失われていますが、住職と門徒たちは戦後の復興を期して寺籍と信仰を守り抜いています。

  • 昭和20年代後半

    住吉区長居の現在地に移転・再建

    戦後、玉造の旧所在地周辺は戦災復興都市計画により再開発が進んだため、定久寺は大阪市住吉区長居2丁目の現在地に移転して堂宇を再興しています。昭和20年代後半までに本堂など主要建物の再建が成り、新たな地で寺院としての活動を再開しています。

  • 昭和〜平成時代

    都市化の中で檀信徒の信仰を守る寺院として

    戦後の高度経済成長期を経て長居一帯は住宅地として開発が進んでいますが、定久寺は檀信徒の法要や葬儀など宗教行事の場として静かに護持されています。一般公開は行わず、門徒との深い絆のもとで400年以上の法灯を守り続けています。

  • 現在
    (令和時代)

    玉造から長居へ、400年超の法灯を守り続ける古刹として

    現在も定久寺は長居の住宅街の中に静かに佇み、文禄3年の開創以来400年以上にわたる法灯を守り続けています。一般拝観は行っていませんが、玉造から長居へと戦禍を乗り越えて受け継がれた歴史は、地域の浄土真宗の歩みを今に伝える存在となっています。

← 一覧に戻る