| 所在地 | 大阪府大阪市北区兎我野町7-6 |
|---|---|
| 宗派 | 浄土宗(鎮西派) |
| 山号 | 清風山(せいふうざん) |
| 本尊 | 阿弥陀如来(木造阿弥陀如来坐像) |
| 創建 | 元和3年(1617年) |
| 開山 | 念蓮社専誉上人(檀誉上人とも伝わる) |
| 文化財 |
木造兜跋毘沙門天立像(国指定重要文化財) 木造阿弥陀如来坐像(大阪市指定有形文化財) |
| 札所 | 北大阪七福神(毘沙門天) |
妙香院(みょうこういん)は、大阪市北区の繁華街・梅田エリアに静かに佇む浄土宗の古刹です。地下鉄「東梅田駅」から徒歩圏の都市部にありながら、境内には落ち着いた空気が漂います。元和3年(1617年)に念蓮社専誉上人によって開かれ、京都・金戒光明寺(黒谷)を本山とする浄土宗寺町の一寺として創建されました。創建当初は堂島新地付近(天満西寺町)にありましたが、天保5年(1834年)の大火で堂宇を失い、弘化3年(1846年)に現在地で再建されています。
現在の妙香院は「北大阪七福神」の毘沙門天札所としても知られ、福徳を願う参拝者が訪れる寺院です。特筆すべきは、江戸時代以前から伝わる貴重な仏像を所蔵している点で、本堂の阿弥陀如来坐像は台座の銘から慶長2年(1597年)の造立と判明しており、大坂城築城期の宗教文化を今に伝える重要な遺品です。また、境内に祀られる兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)立像は1913年(大正2年)に国の重要文化財に指定され、寺院の象徴的な存在となっています。これらの仏像は妙香院の寺宝として大切に守られ、学術的にも高い価値を有しています。
妙香院の山門は鉄筋コンクリート造の近代的な意匠で、白を基調とした門柱とシンプルな門扉、そして緩やかなアーチ状の屋根飾りが特徴です。 周囲のビル群に溶け込みながらも、「清風山妙香院」と刻まれた扁額が寺院の存在感を示しています。 かつて堂島新地に所在した旧山門は天保の大火で焼失し、現在の山門は移転後に再建・改修されたものです。 通常は門扉が閉ざされており、境内には立ち入れませんが、門越しに境内の一部を垣間見ることができます。
本堂は妙香院の中心堂宇で、現在の建物は近代以降に改築された鉄筋コンクリート造です。 シンプルで直線的な外観は、従来の木造寺院建築とは異なる洗練された雰囲気を帯びており、訪問者から「スタイリッシュな本堂」と評されることもあります。 内部に奉安される阿弥陀如来坐像(木造漆箔、高さ約90cm)は安土桃山時代の慶長2年(1597年)の造立銘を持ち、穏やかな像容と繊細な彫眼が特徴です。 大阪市内に現存する貴重な古仏として評価され、令和5年に大阪市指定有形文化財となりました。 通常は非公開で拝観できませんが、寺町文化を今に伝える重要な寺宝として大切に護持されています。
山門を入って右手に位置する毘沙門堂には、妙香院の守護尊である兜跋毘沙門天立像(木造彩色、像高約83cm)が安置されています。 兜跋毘沙門天は、二体の地天女が足元を支える独特の姿で知られ、日本でも数例しか現存しない希少な尊像です。 京都・東寺の国宝像と同系統の造形を持ち、妙香院の像も平安時代(藤原期)の作と伝わり、1913年(大正2年)に国の重要文化財に指定されました。 「降魔厄除」「開運出世」「家内安全」「夫婦和合」など多くの功徳が信仰され、北大阪七福神めぐりの毘沙門天札所としても知られています。 通常は堂内非公開のため、参拝には事前の問い合わせや特別公開の機会が必要です。
1617年
(元和3年)
大坂城下の天満西寺町に創建され、浄土宗寺町の一寺として出発した。創建当初の伽藍は現在の堂島新地付近にあったとされる。
1834年
(天保5年)
天満周辺を襲った大火で本堂を含む主要堂宇が焼失。古記録も同時期に多く失われ、寺の再建が急務となった。
1846年
(弘化3年)
焼失から12年後、現在地に本堂・諸堂が再建され、妙香院の新たな寺観が整えられた。以降、この地で法灯を伝えることとなる。
1913年
(大正2年)
平安期の作と伝わる兜跋毘沙門天立像が国指定重要文化財となり、全国的にも希少な尊像として高く評価された。
平成〜現在
(令和時代)
北大阪七福神の毘沙門天札所として参拝者を迎えつつ、令和5年には本尊「木造阿弥陀如来坐像」が大阪市指定文化財に指定。 非公開寺院であるものの、外観見学や文化財調査を通じ、その歴史的価値が現代に伝えられている。