所在地 | 大阪府豊中市箕輪2丁目5-22 |
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山号 | 仏光山(ぶっこうざん) |
宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
本尊 | 阿弥陀如来(木造立像) |
創建 | 弘仁3年(812年)〔伝・弘法大師空海〕 |
開基 | 弘法大師空海(伝承) |
別称 | 仏光山如来寺、本願寺派如来寺 |
拝観 | 境内自由(開門時間 9:00〜16:00目安、拝観料不要) |
如来寺(にょらいじ)は、大阪府豊中市箕輪にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院で、千里川のほとりに静かに佇む古刹である。 創建は平安時代初期・弘仁3年(812年)にまで遡るとされ、弘法大師空海が真言宗の道場として開いたのが起こりと伝えられている。 その後、中世に親鸞聖人が当地を訪れた際、教えに感銘を受けて浄土真宗へ改宗したと伝承されており、真言密教と浄土真宗という二つの仏教潮流に縁を持つ寺として知られている。
江戸時代には豊中から宝塚にかけて七ヶ寺の末寺を擁する中本山格の寺院として栄え、地域の信仰と教化の中心的役割を担った。 寺宝としては、親鸞聖人自作と伝わる木像や、恵心僧都(源信)作と伝えられる阿弥陀如来像など、歴史的・信仰的に貴重な仏像が伝わっている。 これらは公式な文化財指定は受けていないが、如来寺の長い歴史を今に伝える重要な遺産である。
現在の本堂は1978年に再建された鉄筋コンクリート造で、伝統的な寺院様式を取り入れた構造となっている。 戦国期の兵火によって旧伽藍は焼失したが、現本堂には荘厳な本尊阿弥陀如来像が安置され、門信徒の集う場として親しまれている。 境内には幼稚園「仏光幼稚園」を併設しており、地域の子どもたちの教育にも寄与しているほか、川西市には別院を置くなど、地域社会に開かれた活動を展開している。
また、如来寺では毎年春に「花まつり法要」、夏には「万灯会(まんどうえ)」が行われ、蓮の葉に浮かべた灯籠を供養する幻想的な光景が広がる。 門信徒だけでなく、一般参拝者もこれらの行事に自由に参加することができ、地域の人々とともに信仰と文化を分かち合う場となっている。 拝観は日中であれば予約不要で自由に可能であり、豊中市周辺の歴史散策や仏教文化に触れる訪問地として、気軽に立ち寄ることができる寺院である。
現在の本堂は昭和53年(1978年)に再建された鉄筋コンクリート造で、内外陣を合わせて200名以上を収容できる広々とした建物。 浄土真宗本願寺派の伝統様式に則った金色の須弥壇や欄間彫刻が施され、荘厳な雰囲気が漂う。 法要や年中行事の際には門信徒が集い、厳かな中にも温かみのある信仰空間となっている。
本堂中央に安置される阿弥陀如来立像は、恵心僧都(源信)作と伝えられる古像。 わずかに前傾した姿勢は、煩悩に苦しむ人々を早く救おうとする阿弥陀仏の慈悲の心を表している。 平安期の作とされ、如来寺の信仰の中心として長く崇敬を集めている。
本堂内陣には、お釈迦様の高弟である十大弟子像10体が並ぶ。 現代仏像彫刻の巨匠・中村晋也氏(文化勲章受章者)の手による作品で、奈良・薬師寺の玄奘三蔵院の十弟子像と同じ様式で制作された。 写実的で豊かな表情を持つ銅像が整然と並ぶ光景は圧巻であり、近代仏教彫刻の到達点とも言える。
平成18年(2006年)に改修された山門は、白壁と茶褐色の柱梁が調和した端正な構えを見せる。 扁額には山号「佛光山」の文字が掲げられ、孤高の書家・秀島踏波氏による揮毫である。 2階部分には椅子席の広間があり、法事の際の会食会場など多目的に利用されている。
山門を入って左奥に位置する鐘楼堂は、昭和46年(1971年)に仏教婦人会の協力で建立された二層式の鉄筋コンクリート造。 毎年大晦日には除夜の鐘が撞かれ、地域住民と参拝者で賑わう。 かつて伝わった古い銅鐘は戦時中に供出され失われたが、現在の梵鐘が毎日朝夕に澄んだ音を響かせている。
鐘楼のそばには昭和46年建立の親鸞聖人像が立ち、法衣姿で静かに境内を見守っている。 門信徒にとって宗祖の徳を偲ぶ象徴的存在であり、参拝者が手を合わせる姿が絶えない。
本堂前庭に植えられた五葉松は、昭和53年(1978年)の本堂再建落慶法要に際して、西本願寺第23世門主・大谷光照師夫妻が記念に手植えされたもの。 四季を通じて青々とした枝葉を広げ、如来寺の象徴として大切に手入れされている。
本堂内には、比叡山延暦寺・根本中堂の古材柱が一本保存されている。 江戸時代の改修時に下げ渡された棟持柱で、檀家の岡田氏が譲り受け当寺に奉納したもの。 日本仏教の総本山ゆかりの遺材が豊中の如来寺に伝わることは貴重であり、本堂右側で見学可能である。
812年(弘仁3年)
弘法大師空海が現在の蛍池付近に真言宗の道場を開いたのが如来寺の始まりと伝えられている。 平安初期に開かれたこの寺は、真言密教の教義を広める拠点のひとつであった。
13世紀中頃(建長年間)
親鸞聖人が当地を訪れた際、当時の住職がその教えに帰依し、真言宗から浄土真宗へ改宗。 この時に寺号を「仏光山如来寺」と改めたと伝わる。
1490年代(明応年間)
本願寺中興の祖・蓮如上人の門弟である教円が入寺し、中興の開山として如来寺を再興。 源氏の流れを汲む渡辺氏の出自ともいわれ、教化活動によって寺は大いに発展した。
1578年(天正6年)
有岡城攻め(伊丹戦)により戦火が及び、如来寺は石山合戦で本願寺方を支援していたことから伽藍が焼失。 難を逃れた門徒により、寺基が現在の箕輪へと移され再興を果たす。
江戸時代(17~19世紀)
江戸期には豊中から宝塚にかけて七ヶ寺の末寺を有し、中本山格の寺院として栄える。 地域門徒の信仰の中心となり、寺子屋教育や庶民教化の拠点としても機能した。
1952年(昭和27年)
第29世住職・平興誓師により、境内に仏光幼稚園が創設。 戦後の地域復興期における教育・福祉活動の一環として、仏教精神に基づいた幼児教育を提供した。
1978年(昭和53年)
老朽化した旧本堂に代わり、鉄筋コンクリート造の本堂を再建。 あわせて第一納骨堂(永代供養施設)が完成。 これに先立ち、1971年には鐘楼堂と親鸞聖人像が建立され、昭和期に境内整備が進む。
1997年(平成9年)
兵庫県川西市清和台に川西別院を開設し、落慶法要を厳修。 同年、如来寺門信徒会を結成し、寺と檀信徒が一体となった運営体制を確立した。
2006年(平成18年)
山門・鐘楼堂・境内の石畳などを改修し、バリアフリー対応や駐車場を整備。 翌年には本堂修復落慶法要を営み、現代の参拝者にも快適な寺院環境を整えた。
2011年(平成23年)
この年から「花まつり(潅仏会)」と「万灯会」を年中行事として新設。 春の花まつりではお釈迦様の誕生を祝福し、秋の万灯会では蓮の葉に灯明を浮かべて先祖を供養する。 現在では地域住民も参加できる開かれた行事として定着している。