所在地 | 大阪府大阪市北区太融寺町3-7 |
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TEL | 06-6311-5480 |
山号 | 佳木山(かぼくさん) |
宗派 | 高野山真言宗 |
創建年 | 弘仁12年(821年) |
中興年 | 承和10年(843年) |
指定文化財 | 木造千手観音菩薩立像(大阪市指定有形文化財) |
HP | 太融寺HP |
太融寺は大阪・梅田の繁華街に位置する高野山真言宗の寺院で、約1200年の歴史を誇る古刹です。弘仁12年(821年)、弘法大師空海がこの地に草庵を結んだのが始まりとされ、翌年には嵯峨天皇が自身の念持仏であった千手観音菩薩像を下賜し、これを本尊としました。 本尊・木造千手観音菩薩立像は平安時代の作で、大阪市指定有形文化財にも指定されている秘仏です。市内屈指の古仏として知られ、年に一度の御開帳には多くの参拝者が訪れます。
境内には豊臣秀吉の側室・淀殿の墓と伝わる石塔が祀られており、歴史的にも興味深い場所となっています。明治時代には自由民権運動の集会が開かれるなど、宗教的な役割にとどまらず、大阪の近代史にも関わりの深い寺院です。古代から現代に至るまで、太融寺は信仰と文化の交差点として人々の心を見守り続けています。
太融寺の中心伽藍である本堂は、昭和35年(1960年)に再建されました。 嵯峨天皇ゆかりの千手観世音菩薩(平安時代作)を本尊とし、一木造・彫眼による十一面四十二臂の千手観音立像が安置されています。 この仏像は平安後期の定朝様式を伝える貴重な古仏で、毎年1月18日の初観音にのみ開帳されます。 本堂の両脇には、空海が霊木から刻んだと伝わる地蔵菩薩と毘沙門天が脇仏として祀られています。
本堂前には平成18年(2006年)の本坊建替えに際して枯山水庭園「九山八海庭」が作庭され、令和元年(2019年)には八角堂前にも新たな石庭が整備されました。 都会の中心にありながら静謐な空間が広がり、訪れる人に安らぎを与えます。
境内には大師堂(弘法大師像を安置)や護摩堂、一願堂(不動明王を祀る)などの堂宇があり、いずれも昭和61年(1986年)に再建されました。 一願堂の不動明王は石仏で、「一つの願いを叶える不動」として厚い信仰を集めています。 南・北・東・西の四門が再建され、都会の中の聖域として整然とした伽藍配置が保たれています。
境内墓地の一角には豊臣秀吉の側室・淀殿(淀君)の墓があります。 もとは大坂城内にあった供養塔で、明治10年(1877年)に城東練兵場建設に伴い太融寺に移されたものです。 豊臣家ゆかりの寺として手厚く祀られており、歴史ファンにも人気の史跡です。
境内には「近代日本政党政治発祥の地」を示す石碑が立っています。 明治13年(1880年)に第四回愛国社大会が当寺で開かれ国会期成同盟が結成され、明治17年(1884年)には自由党解党式が行われました。 太融寺は日本の近代政治史においても重要な舞台の一つとされています。
821年
(弘仁12年)
弘法大師空海が当地で霊木を得て地蔵菩薩・毘沙門天を刻み草庵を創建。翌年、嵯峨天皇が千手観音像を下賜し本尊とする。
843年
(承和10年)
嵯峨天皇の皇子・源融公が寺域を定め七堂伽藍を建立。霊木創建の故事にちなみ山号を「佳木山」、源融の名に因んで寺号を「太融寺」と定める。
1615年
(慶長20年)
豊臣方に与したため兵火により伽藍焼失。敗戦後、徳川方により寺領が削減される。
1688〜1704年
(元禄年間)
本堂・南大門など約25棟の伽藍が再建され、「北野の太融寺」として浪華の名刹と称される。現在の太融寺町や堂山町など地名にその名残を残す。
1877年
(明治10年)
大阪城内の淀殿供養塔が当地に移され、豊臣家ゆかりの寺として淀殿の墓として祀られる。
1880年
(明治13年)
自由民権運動の拠点として第四回愛国社大会が当寺で開催され、国会期成同盟を結成。
1884年
(明治17年)
太融寺にて自由党の解党式が挙行され、日本の近代政治史の舞台の一つとなる。
1945年
(昭和20年)
6月の大阪大空襲で堂塔伽藍が焼失。本尊の千手観音像は高野山に疎開していたため難を逃れ、寺宝の梵鐘も供出を免れる。
1960年
(昭和35年)
焼失から15年を経て本堂を再建し、境内整備が本格化する。
1986年
(昭和61年)
大師堂・一願堂・護摩堂・宝塔など二十数棟の堂宇を再建し、戦災で失われた伽藍の復興が進む。
2006年
(平成18年)
本坊を多目的利用の新会館として建て替え、本堂前には枯山水庭園「九山八海庭」を造営。
2017年
(平成29年)
戦災で焼失した北野辯天堂を境内に小祠として復元。
2019年
(令和元年)
永代供養塔婆を祀る八角堂を新築。
2020年
(令和2年)
開創1200年を迎え、東門の再建と境内整備を完了。太融寺開創千二百年大法会を厳修し、悠久の歴史を今に伝える。