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天徳寺てんとくじ

毛利元康ゆかりの菩提寺として歴史を刻む、天満寺町の曹洞宗寺院

所在地 大阪府大阪市北区与力町2-1
TEL 06-6351-7709
山号 仙境山(せんきょうざん)
宗派 曹洞宗
創建 天正元年(1573年)
開基 毛利元康
本尊 如意輪観音

毛利元康ゆかりの菩提寺として歴史を刻む、天満寺町の曹洞宗寺院・天徳寺

天徳寺は、大阪市北区・天満の寺町通りに佇む曹洞宗の寺院で、寺伝によれば天正元年(1573年)に 備後国神辺(現在の広島県福山市)で開創され、その後現在地の与力町へ移転したとされています。 この移転と創建には、毛利元就の八男で神辺城主を務めた武将・毛利元康の存在が深く関わっており、 当寺では元康を開基(創立者)としています。元康は文武に優れた武将で、毛利家中で重用されましたが、 その活躍ぶりは敵対勢力に警戒され、のちに史料から名を削られたとも伝えられる人物です。 関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601年)に大坂で没し、その遺骸が天徳寺に葬られたことを契機に、 寺号が「天徳寺」と改称されたといわれています。

江戸時代後期になると、天徳寺は大坂の儒学者・篠崎小竹や後藤松陰の墓所としても知られるようになり、 武家と文人という異なる系譜が重なる寺院としての歴史的価値を高めました。 現代に至っても、毛利家ゆかりの菩提寺であり、大坂学問史の一端を担う寺として静かにその名を伝えています。 寺院は原則非公開で、僧侶が常駐しない日も多く、堂内参拝は受け付けていません。 訪れる際は門前からそっと手を合わせる程度とし、外観を通して歴史ある寺の気配を味わうのがよいでしょう。

  • 山門と境内の佇まい

    天徳寺は寺町通りに面し、多くの寺院が門を閉ざす中で山門が開放され、境内に一歩足を踏み入れることができる数少ない寺院です (ただし堂内には立ち入れません)。境内はコンクリート造の本堂を中心に整備され、都会の喧騒から離れた静けさを感じられます。 現在の本堂は戦後復興期に再建されたもので、瓦屋根など寺院らしい意匠を備えながらも、耐火性の高い近代的構造となっています。

  • 開基・毛利元康公の墓所

    境内奥には開基・毛利元康公の墓所があり、石造五輪塔が静かに佇んでいます。 元康公の墓は大阪大空襲で損壊しましたが、戦後に修復され、現在も本堂脇で当寺の由緒を伝え続けています。 墓碑に刻まれた戒名「天徳寺殿石心玄也大居士」は寺号を含み、寺と毛利家の強い結びつきを象徴するものです。

  • 儒学者・篠崎小竹の墓所と顕彰碑

    天徳寺は江戸後期の大坂を代表する儒学者・篠崎小竹の菩提寺としても知られています。 小竹は大坂随一の私塾「梅花社」を継ぎ、数多くの門弟を育てた漢学者・書家で、 その遺骸が天徳寺に葬られています。山門脇には「篠崎小竹墓所」と刻まれた顕彰碑が立ち、 大阪市指定の顕彰史跡として文化的価値が認められています。 小竹が生きた学問都市・大坂の歴史を感じさせる重要なスポットです。

  • 後藤松陰の墓所と学問の継承

    境内には小竹の娘婿であり、幕末期の著名な漢学者・後藤松陰の墓もあります。 松陰は頼山陽の高弟であり、大坂で私塾「広業館」を開いて多くの逸材を育てました。 その門には吉田松陰(長州藩士)が何度も訪れ、後藤松陰の影響から自らの号を「松陰」としたとも伝わります。 天徳寺の墓石群には「○○先生之墓」と刻まれた学者の供養塔が多く並び、ここが文人たちの精神を支えた場所であったことを物語っています。

  • 寺町の歴史的景観と外観拝観

    周辺は江戸時代以来の寺町で、多くの寺院や史跡が集まる地域です。 天徳寺の門前からは、外観越しに本堂や石碑を眺めながら往時に思いを馳せることができます。 一般参拝はできませんが、武家と文人の両方の歴史を宿す珍しい寺院として、外観だけでも充分に歴史散策の一頁を彩る場所となっています。

天徳寺のあゆみ

  • 1573年
    (天正元年)

    備後国神辺で創建(毛利元康を開基とする)

    備後国神辺(広島県福山市)にて天徳寺が開創されたと伝わる。 開基は毛利元就の八男・毛利元康で、寺号にもその名が残された。

  • 1601年
    (慶長6年)

    毛利元康が大坂木津の陣中で死去

    病没した元康の遺骸が天徳寺に葬られ、以後毛利家の菩提寺として寺運が引き継がれる。 開基の墓所は現在も境内に残り、当寺の由緒を象徴する史跡となっている。

  • 1851年
    (嘉永4年)

    儒学者・篠崎小竹を葬る

    大坂を代表する儒学者・篠崎小竹が70歳で死去。天徳寺に埋葬され、後にその墓所は大阪市顕彰史跡に指定。 現在も門前に顕彰碑が建つ。

  • 1864年
    (元治元年)

    漢学者・後藤松陰を葬る

    68歳で没した幕末の著名漢学者・後藤松陰を天徳寺に埋葬。 彼は頼山陽の高弟であり、私塾「広業館」により多くの門弟を育てた人物で、その墓所も境内に残されている。

  • 1945年
    (昭和20年)

    大阪大空襲で伽藍焼失

    第二次世界大戦の大阪大空襲により本堂をはじめとした伽藍が焼失。 毛利元康の五輪塔も破損し、戦後修復されて現在に至る。

  • 1974年
    (昭和49年)

    篠崎小竹顕彰碑が建立される

    大阪市が篠崎小竹の業績を顕彰し、天徳寺門前に顕彰碑を建立。 天徳寺が「武将と儒学者」の両方にゆかりを持つ寺院である歴史が、史跡として明確に保存される。

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