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大宮寺だいぐうじ

箕面市萱野の森に息づく平安創建の薬師霊場

所在地 大阪府箕面市白島3-15-7
山号 医王山
宗派 真言宗
本尊 薬師如来(かやの薬師)
創建 宇多天皇・寛平4年(892年)
開山 聖宝(しょうぼう、理源大師)
別称 萱野のお薬師さん
HP daiguji.net

平安創建の薬師如来と大医王岩が語る森の古刹・大宮寺

大宮寺は、大阪府箕面市萱野地区の静かな森の中にひっそりと佇む真言宗の小さなお寺です。平安時代の宇多天皇の御代、修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ)に私淑した僧・聖宝(後の理源大師)によって創建されたと伝えられ、今に約1100年以上の歴史を刻んでいます。聖宝がこの地を訪れた際、夢の中に牛頭天王(ごずてんのう)が現れ「萱野の北東に仏縁深い霊池あり」とのお告げを受け、森の中で高さ12丈(約36m)ほどもある巨岩を発見しました。その岩こそ薬師如来の御姿そのものと感じた聖宝は、自ら薬師如来像を刻んで一宇を建立し、大宮寺と名付けたと伝えられています。以来、医王山の山号が示すとおり薬師如来を本尊とする霊場として信仰を集め、「萱野のお薬師さん」の愛称で地域住民に親しまれてきました。病気平癒や厄除けの祈願所として長く慕われ、現在も毎月8日の薬師縁日や季節の行事に合わせご住職が護摩供などの法要を行い、訪れる人々の心を癒しています。

大宮寺はもともと近隣の為那都比売神社(いなつひめじんじゃ)の神宮寺(神社に附属した寺院)として創建され、神仏習合の時代には神社と寺院が一体となって地域信仰の中心地となっていました。境内には薬師如来像をはじめ、愛染明王、不動明王、十二神将、地蔵菩薩、如意輪観音、歓喜天、弁才天、毘沙門天、弘法大師像など多彩な仏尊が祀られており、仏教と神道が融合した当時の信仰形態を今に伝えています。明治期の神仏分離により一度は神社と分離され寺運も衰えましたが、地元有志の手で薬師堂(後述)が守られ、昭和以降は法要や年中行事も継承されています。周囲の鎮守の森は都市近郊では貴重な照葉樹林(常緑広葉樹林)として保存活動が行われており、2002年には箕面市が公園用地として買い取り保全するなど、地域ぐるみで歴史的環境が守られています。豊かな緑に包まれた境内には野鳥のさえずりが響き渡り、訪れる人々を静かに迎えてくれるでしょう。

  • 薬師堂(本堂)

    石段を上った先に佇む薬師堂(本堂)。鬱蒼と茂る木立に囲まれた小さなお堂が大宮寺の本堂です。かつては本尊を安置する薬師堂のほかにも数棟の堂宇があったと伝わりますが、戦国時代の兵火や近代の廃仏の荒波を経て、現在ではこのお堂のみが往時の面影を残しています。木造瓦葺きの質素な建物ながら年月を経た風格が漂い、平安創建の古刹らしい静謐な雰囲気を醸し出しています。堂内の中央には本尊・薬師如来像(薬壷を持つ立像)が安置されており、その両脇を護法の十二神将や不動明王・愛染明王像などが固めています。この薬師如来立像は平安中期の作とされ、箕面市の文化財にも指定された貴重な仏像です。堂内には他にも如意輪観音像や弘法大師像などが祀られ、小堂ながら密教の宇宙観を感じさせる空間となっています。毎月8日の薬師縁日には護摩祈祷が厳修され、地域の人々がお堂に集い手を合わせる姿を見ることができます。

  • 鐘楼

    本堂から少し離れた場所にはひっそりと鐘楼も設けられています。江戸時代までに一度失われた鐘楼を、地元有志が昭和48年(1973年)に新たに寄進したもので、素朴な切妻造の覆屋の下に吊るされた梵鐘には協力した多くの篤志家の名前が刻まれています。大晦日には地域の人々が集い、この鐘を撞いて一年を振り返る除夜の鐘の行事が行われます。境内の一角にはベンチも置かれ、普段は近隣の方がお散歩の途中に腰掛けて休む憩いの場にもなっています。周囲を囲む社叢林(鎮守の森)は四季を通じて緑濃く、春には足元に可憐な野草が花開き、夏は木陰が涼風を運びます。都市近郊ながら昔ながらの里山の雰囲気を色濃く残す自然環境も、大宮寺の大きな魅力と言えるでしょう。

  • 大医王岩(医王岩)

    本堂から北へ300mほど山道を分け入った先に聳える高さ10m以上の巨岩で、大宮寺創建の伝説ゆかりの霊石です。聖宝がこの地で出会ったという岩そのものとされ、岩肌には長い年月を経た苔が厚く覆っています。その威容はまさに薬師如来の化身とも言える神々しさで、古くから「大医王尊」(薬師如来の異名)として崇められてきました。地元では「薬師岩」とも呼ばれ、農耕神である大巳貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神がこの岩から生まれ出たとの伝承も伝わります。

大宮寺のあゆみ

  • 892年
    (寛平4年)

    大宮寺の創建

    真言密教の高僧・聖宝(理源大師)が当地にて薬師如来像を刻み、大宮寺を開創。豊島郡司・中村時原佐道の庇護を受けて堂宇を建立し、本尊を安置したと伝わる。山号は聖宝が発見した巨岩にちなみ「医王山」と称した。

  • 平安後期~中世

    神宮寺としての発展

    為那都比売神社の神宮寺として発展し、修正会などの年中行事が行われ薬師信仰の道場として栄えた。聖宝は後に醍醐寺を開山し、修験道中興の祖として宝永4年(1707年)に理源大師号を贈られた。

  • 16世紀末
    (天正年間)

    戦乱による被災

    戦乱の兵火により境内が焼失。伽藍の大半が失われるが、薬師堂(本堂)のみが焼け残り難を逃れたと伝わる。以後、薬師堂を中心に信仰が守られた。

  • 1868年
    (明治元年)

    廃仏毀釈の影響

    明治維新の神仏分離令により大宮寺は廃寺措置となり一時無住となる。為那都比売神社も境内から分離され、仏像や仏具の多くが失われた。

  • 1907年
    (明治40年)

    神社合祀と寺院の衰退

    為那都比売神社が為那都比古神社に合祀され、旧社殿は取り壊された。大宮寺跡には薬師堂のみが残存し、この頃「医王山薬師寺」と改称されたとの記録もある。

  • 1973年
    (昭和48年)

    鐘楼の建立

    地元有志の協力で新たな鐘楼が建立され梵鐘が奉納された。以降、毎年大晦日に除夜の鐘が撞かれるようになる。

  • 2002年
    (平成14年)

    「大宮寺の森」の保存

    境内一帯の森が歴史的・生態学的価値の高さから「大宮寺の森」として保存され、箕面市が公園予定地として買い上げる。市民グループ「大宮寺の森の会」が植生調査や保全活動を継続。

  • 現代

    地域に親しまれる古刹

    薬師堂では毎月8日の薬師縁日と24日の地蔵縁日に護摩祈祷や月例法要を実施。春の花まつり、夏の開山忌法要、お地蔵盆、年末の除夜の鐘など行事が復活。地域に「萱野のお薬師さん」として親しまれ、歴史ある仏像や自然環境に触れられる癒しの場として観光客にも人気を集めている。

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