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多聞寺たもんじ

野里住吉神社の神宮寺を起源とし、昭和に再興された宏野山の真言宗寺院

寺院名 宏野山 多聞寺(たもんじ)
所在地 大阪府大阪市西淀川区野里2丁目16-26
山号 宏野山
宗派 高野山真言宗
本尊 毘沙門天(多聞天・秘仏)
再興 昭和39年(1964年)

旧太鼓楼を山門に伝え、毘沙門天信仰を静かに守り続ける古刹

多聞寺は、もとは野里住吉神社(永徳2年・1382年創建)の神宮寺として建立された寺院で、中世には「西勝寺」と称していました。詳細な創建年代や開山については明らかではありませんが、旧淀川(中津川)沿いの集落として発展した野里の地では、室町時代にはすでに社寺が営まれていたと考えられています。西勝寺は江戸時代を通じて地域の寺院として存続し、明治初期まで野里住吉神社に付属する形で信仰を集めてきました。

明治元年(1868年)の神仏分離令により、西勝寺は神社から切り離され、廃寺となったとみられます。ただし寺院建物自体は残され、明治7年(1874年)には本堂が野里小学校(当時の第五区第六番野里小学校)の仮校舎として利用されました。その後、長らく仏教寺院としての機能は途絶えていましたが、昭和39年(1964年)に高野山真言宗の寺院「多聞寺」として再興され、本堂落慶法要が営まれました。現在の本堂はこのときに新築・復興されたものです。

寺号「多聞寺」は、本尊である毘沙門天(四天王の一尊・多聞天)にちなむ名称です。再興後の多聞寺は地域の檀信徒によって支えられていますが、現在は一般の参拝や拝観は行われておらず、門前から外観を拝して参拝する形となっています。隣接する野里住吉神社や周辺の旧集落とともに、寺の周囲には往時の野里の町並みの面影が残り、歴史的な環境の中に静かに佇んでいます。

  • 山門(旧太鼓楼)

    寺の入口に構えられた山門は、太平洋戦争の大阪大空襲を免れた旧・太鼓楼を移築転用したものと伝えられています。格子越しに内部をのぞくと、三本筋の柱など古い木造建築の意匠が確認でき、往時の面影を今に伝える貴重な構造物です。多聞寺ならではの歴史的景観を象徴する見どころとなっています。

  • 本堂

    境内中央に建つ本堂は、昭和39年(1964年)の再興時に新築された入母屋造風の堂宇です。内部には本尊・毘沙門天が御厨子に納められた秘仏として安置され、通常は公開されていません。左右には不動明王と弘法大師(空海)像が祀られ、真言宗寺院らしい伽藍構成が整えられています。本堂内には「昭和三十九年落慶法要記念」の額も掲げられています。

  • 境内の石仏・堂宇

    境内には石仏や小堂がこぢんまりと配置され、山門脇には寺号を記した表札が掲げられています。複数の地蔵菩薩像が安置されており、地域信徒による供養や祈願の場として大切に守られています。

  • 観音菩薩像

    境内の一角には観音菩薩像も祀られており、静かな祈りの空間を形づくっています。小規模ながらも、信仰の対象が丁寧に配置された境内構成が特徴です。

  • 境内の佇まい

    境内は広くはありませんが、清掃が行き届き、隣接する野里住吉神社の社叢とも調和した静謐な雰囲気に包まれています。都市部にありながら、歴史と信仰が息づく落ち着いた空間を感じることができます。

多聞寺のあゆみ

  • 1382年
    (永徳2年)

    野里住吉神社の創建

    足利義満の時代に、野里住吉神社が創建されました。後にこの神社に付属する神宮寺が営まれる基盤となります。

  • 室町時代
    (時期不詳)

    神宮寺・西勝寺の開創

    野里住吉神社の神宮寺として、西勝寺が開創したと伝えられています。多聞寺の前身にあたる寺院です。

  • 1868年
    (明治元年)

    神仏分離による廃絶

    明治維新に伴う神仏分離・廃仏毀釈の影響により、西勝寺は神社から切り離され、廃寺となったと推定されます。

  • 1874年
    (明治7年)

    野里小学校の仮校舎として使用

    廃寺となった西勝寺の本堂が仮校舎として利用され、第五区第六番野里小学校が開校しました。

  • 1945年
    (昭和20年)

    大阪大空襲と旧太鼓楼の残存

    大阪大空襲により周辺地域は甚大な被害を受けましたが、旧西勝寺の太鼓楼は焼失を免れ、後年の再興時に転用されることとなります。

  • 1964年
    (昭和39年)

    多聞寺として再興

    西勝寺跡地に高野山真言宗の寺院「多聞寺」が再興され、本堂が新築されました。同年、宗教法人として正式に登記され、落慶法要が奉修されました。

  • 令和時代

    檀信徒中心の寺院運営

    現在は一般参拝を行わず、檀信徒の行事や法要を中心に寺院活動を継続しています。静かに地域信仰を支える寺院として存続しています。

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