| 所在地 | 大阪府大阪市北区野崎町3-4 |
|---|---|
| 宗派 | 法華宗(陣門流) |
| 山号 | 護国山(ごこくさん) |
| 本尊 | 大曼荼羅(三宝尊) |
夕願寺(せきがんじ)は、大阪市北区野崎町に位置する法華宗陣門流の寺院で、山号を「護国山」と称します。 創建年代は明確ではありませんが、室町時代に本禅寺17世・日珖上人によって開かれたと伝えられています。天文5年(1536年)には 西成郡新家村から現在の天満・野崎町へ移転し、江戸期には「天満寺町」と呼ばれた寺院集住地の一角として発展しました。 寺町は桃山〜江戸期に計画的に形成された地域で、夕願寺はそのうち堀川より西側に広がる「西寺町」に属しています。
歴史の中では度重なる火災に見舞われ、特に天保5年(1834年)の堂島新地の大火では伽藍を焼失する大きな被害を受けました。 その後、文久元年(1861年)に本堂が再建され、現在の寺観の基礎が整えられています。 火災で記録の多くが失われたため創建当初の詳細は明らかではありませんが、夕願寺は天満寺町の歴史を物語る寺院として、 地域に静かにその存在を伝え続けています。
夕願寺の境内は一般拝観不可で、通常は山門が閉ざされています。 外側から望むと、周囲の近代的な建物が増える中で、夕願寺は瓦屋根をいただく伝統的な堂宇を今も残しており、 静かな寺院風景が感じられます。山門越しにのぞく境内は、長い時を経た寺院ならではの落ち着きを漂わせています。
境内には本尊である大曼荼羅(御題目曼荼羅)を安置する本堂をはじめ、日蓮宗寺院特有の守護神・三十番神を祀るとされる諸堂が点在します。 いずれも非公開のため内部の拝観はできませんが、外から見る堂宇の量感や屋根の反りなどには、歴史ある寺院建築の風情が残されています。
夕願寺が所在する野崎町周辺(兎我野町〜太融寺町〜野崎町)は、天満寺町として江戸時代に形成された寺院集住地で、 現在も多くの寺社が建ち並ぶ地域です。隣接する冷雲院や太融寺などとあわせ、都会の中で静かな寺院風景が残されており、 天神橋筋商店街からJR大阪駅方面へ散策する途中に立ち寄るにも適したエリアです。 歴史の名残を感じられる町並みを歩くことで、大阪の意外な文化史に触れることができるでしょう。
1536年
(天文5年)
本禅寺17世・日珖上人の代に、寺が西成郡新家村から天満・野崎町へ移転。 この頃より天満寺町が形成され、寺院集住地の一角を占めるようになる。
1834年
(天保5年)
天満一帯を襲った大火により堂宇を焼失。古記録も失われ、多くの寺史が不明となる。
1861年
(文久元年)
焼失から約30年後、文久元年に本堂が再建され現在の夕願寺の寺観の基礎が整う。