所在地 | 大阪府豊中市春日町2-6-1 |
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電話 | 06-6852-1243 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
山号 | 甘露山 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建(寺伝) | 貞治年間(1362–1368)に存覚上人が念仏道場を開く |
寺号改称 | 文禄3年(1594)に「報恩寺」と改称 |
文化財 | 麻田藩主邸表玄関(報恩寺)〈豊中市指定有形文化財(建造物)〉 |
報恩寺は、奈良時代に行基が開いた巨刹「金寺(かなでら)」に連なる寺院群(通称:金寺千坊)を淵源とするという寺伝を持つ。貞治年間(1362–1368)に存覚上人が当地で念仏道場を開いたのが始まりで、その道場は後に戦乱で焼失するが、文禄3年(1594)に寺号を「報恩寺」と改めて再興されたと伝わる。
近世以降、この地域を治めた摂津・麻田藩(青木氏1万石)の藩庁「麻田陣屋」は現在の阪急・蛍池駅西側に置かれていた。廃藩置県を経て、藩主邸“表玄関”が明治15年(1882)に本寺へ移築され、いまも「麻田藩主邸表玄関(報恩寺)」として豊中市指定有形文化財になっている。
正面に大虹梁、中央蟇股(かえるまた)には青木氏の家紋「富士に霞」、三間通しの式台の奥に12畳の広間を備えるなど、江戸後期の小大名居館玄関の意匠を良好に伝える遺構である。
本堂は明治14年(1881)再建。近代の浄土真宗本堂らしい装飾性の高い意匠を見せ、門前の落ち着いた住宅地の景観と調和している。
入母屋造・瓦葺の近代真宗本堂で、境内の中心に位置する伽藍。内陣の荘厳が豊かで、金箔や彫刻の意匠が見事に調和している。 明治の再建ながら、伝統的な浄土真宗本堂の形式を踏襲しており、堂内には阿弥陀如来像が安置され、地域信仰の中心として今日も法要が営まれている。
江戸後期の藩主居館玄関を明治15年(1882)に本寺へ移築。三間通しの式台と12畳の広間を備え、正面には大虹梁、蟇股(かえるまた)には青木氏の家紋「富士に霞」が刻まれている。 小藩の御殿建築の特徴が凝縮された貴重な遺構であり、書院も同時期に移築されている。 かつての藩邸の風格をそのまま伝える建築美が、現在も静かに残されている。
瓦葺の山門越しに本堂が望める端正な参道が特徴で、落ち着いた住宅地の中に静謐な景観を保つ。 豊中市公式の「とよなか百景」にも選ばれており、参道の石畳や植栽が四季ごとに異なる趣を見せる。 都市の喧騒から一歩離れた穏やかな空間として、多くの参拝者に親しまれている。
飛鳥時代後期
金寺山廃寺が創建されたと考えられる(山田寺系の古瓦出土)。後世、塔刹柱礎石は看景寺に移置され、府指定文化財となる。
天平年間(8世紀)
行基による「金寺千坊」創建伝承が地域に伝わる。報恩寺の前身とされる金銭寺を含む寺院群の伝承とされる。
貞治年間(1362–1368)
念仏道場(のち「金銭道場」)が当地に開かれる。開基は存覚上人と伝えられる。
天正年間(1573–1592)
兵火により道場が焼失したと伝えられる。
文禄3年(1594)
楠木余左衛門が出家(法名・玄可)し、小庵を再建して寺号を「報恩寺」と改めた。
元禄2年(1689)〜元禄5年(1692)
寺号公称の願い出があり、元禄5年の「吟味之帳」に堂宇と沿革の記録が残る。
明治14年(1881)
近代浄土真宗本堂として本堂を再建。装飾性豊かで明治期の建築美を今に伝える。
明治15年(1882)
麻田藩主邸“表玄関”が報恩寺に移築される。後に豊中市指定有形文化財として保存される。
昭和62年(1987)
「麻田藩主邸表玄関(報恩寺)」が豊中市指定有形文化財(建造物)に指定。江戸後期の御殿玄関遺構として保存が図られる。