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地蔵院じぞういん

江戸期より地蔵信仰を伝える、豊中・桜の町の曹洞宗寺院

寺院名 地蔵院
所在地 大阪府豊中市桜の町4丁目8-8
宗派 曹洞宗
本尊 地蔵菩薩(江戸時代作と伝わる)

地域の「お地蔵さん」として親しまれる曹洞宗寺院 ― 豊中・地蔵院

地蔵院の創建由緒は明確ではありませんが、寺号が示す通り地蔵菩薩を本尊とすることから、 古くは庶民信仰の地蔵尊を祀る小堂として始まったと考えられています。 寺伝や地域の伝承によれば、江戸時代から伝わる地蔵菩薩像が本堂に安置されており、 この尊像こそが現在の地蔵院の礎となったといわれています。

明治維新期の廃仏毀釈の混乱の中でも、本尊の地蔵菩薩は地域の人々によって守られ、 信仰の場として寺院は存続しました。 その後、地蔵院は禅宗の一派である曹洞宗の寺院として整備・再興され、 近代以降は檀家による運営のもとで地域信仰の中心として歩みを続けています。

寺名「地蔵院」は本尊の地蔵菩薩に由来し、 古くから「お地蔵さんのお寺」として親しまれてきました。 現在の本堂は近代以降に改築・補修が重ねられ、境内は清掃が行き届き静かな佇まいを保っています。 山号(寺の山名)は伝わっておらず、規模こそ小さいものの、 地蔵院は地域住民の心の拠り所として静かに信仰を継承しています。

  • 山門と境内の雰囲気

    地蔵院の境内は閑静な住宅街に囲まれ、塀と門で外界と仕切られた静寂な空間です。 普段は門扉が閉ざされ、関係者以外の立ち入りはできませんが、 正面の簡素な山門の先には木々に囲まれた穏やかな参道が続いています。 華美な装飾を避けた、素朴で心落ち着く佇まいが特徴です。

  • 本堂

    境内の中央に建つ本堂は、木造瓦葺き(一部改修済み)の落ち着いた建築です。 内陣中央には本尊・地蔵菩薩像が安置され、法要や祭事の際には読経が響きます。 周囲には歴代住職の位牌や仏具が整えられ、地域信仰の中心として大切に守られています。

  • 石仏と庚申塔

    本堂脇には江戸期の庶民信仰を伝える青面金剛塔(庚申塔)が祀られています。 また、本堂周辺には大小さまざまな石地蔵尊が点在し、地域住民が手を合わせられるように整えられています。 石仏群は素朴ながらも信仰の温かみを感じさせる存在です。

  • 墓地

    境内の一角には整然と区画された墓地があり、檀家の先祖代々の墓石が並びます。 風雨に耐えながらも丁寧に手入れが施されており、地域の供養の場として静かに受け継がれています。

  • 庫裡(住職方丈)

    本堂に隣接する庫裡は、住職一家の生活の場であると同時に、寺務や法事の受付が行われる場所です。 境内全体に派手さはなく、長年にわたり地域の人々の手で丁寧に維持されてきた、 素朴で静謐な寺院空間となっています。

地蔵院のあゆみ

  • 江戸時代以前

    創建と信仰の始まり

    寺伝では奈良時代の創建とも伝わるが詳細は不明。 江戸時代までに地蔵菩薩像が当地に祀られ、地域の人々から篤い信仰を集めるようになる。

  • 明治~大正期

    曹洞宗寺院として存続

    廃仏毀釈の影響を受けながらも曹洞宗寺院として存続。 上新田・少路・刀根山地域を中心に檀家を擁し、信仰を守り続けた。

  • 1930年代(昭和初期)

    豊中市仏教会への参加

    昭和12年前後に発足した豊中市仏教会に参加。 市内の他寺院と連携し、仏教行事の運営や地域布教に協力した。

  • 戦後~昭和中期

    地域信仰の復興

    戦後の復興とともに檀家の信仰も再び盛んになる。 昭和40~50年代頃までに本堂や庫裡などの諸施設が整備・改修される。

  • 1980年代以降

    都市化の中での維持と信仰継承

    豊中市の都市化が進む中、静かな信仰の場として維持管理が行われる。 永代供養や年中行事が檀家によって継続され、地域に根差した寺院として存続。

  • 2010年代

    豊中市仏教会80周年への参加

    創立80周年を迎えた豊中市仏教会の活動に引き続き参加。 檀信徒の高齢化に対応しながら、法要や行事を守り続ける。

  • 2022年(令和4年)

    地域のお地蔵様として紹介

    北摂地域アーカイブ事業において、本尊・地蔵菩薩が「地域のお地蔵様」として紹介される。 地域に根付いた信仰文化を今に伝える存在として再評価された。

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