| 所在地 | 大阪府大阪市北区豊崎4丁目5-24 |
|---|---|
| 山号 | 常照山 |
| 宗派 | 浄土真宗大谷派(真宗大谷派) |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建 | 永正年間(16世紀初頭)伝承(開基:澤田氏一族) |
| 文化財 |
円乗寺真宗関係史料(方便法身阿弥陀如来画像〈永正14年(1517)実如下付と伝〉ほか5点) ※大阪市指定有形文化財 |
| 電話 | 06-6371-4614 |
圓乗寺(円乗寺)は、大阪市北区豊崎に位置する真宗大谷派(東本願寺)の寺院で、戦国時代の永正年間に当地の土豪・澤田氏一族が浄土真宗に帰依して開創したと伝えられています。永正14年(1517年)には本願寺第8世・実如から下付されたとされる「方便法身阿弥陀如来画像」を含む真宗関係史料が伝わり、同寺が創建以来、本願寺と深い法縁を結んできたことがうかがわれます。これらの史料は「円乗寺真宗関係史料」として大阪市指定有形文化財に認定されています。
圓乗寺の立地する豊崎地域は、中世には大寺院「三宝寺」があった歴史ある土地で、さらに戦国時代には本願寺門徒の有力集団「中嶋衆」の拠点(三番村の東側一帯)として知られました。圓乗寺もこうした真宗門徒勢力の一角を担い、地域の信仰基盤の一つとして発展してきました。江戸時代には豊崎村の浄土真宗寺院として地域に根ざし、村人の念仏信仰を支える役割を果たしていました。
浄土真宗は親鸞聖人を宗祖とする仏教教団で、圓乗寺は慶長7年(1602年)の本願寺東西分立以降、東本願寺(真宗大谷派)に属する寺院となりました。以後、大坂城下と北河内を結ぶ交通の要衝であった豊崎の地で寺基を保ち、近世・近代を通して真宗門徒の拠点寺院としてその歴史を積み重ね、今日も真宗大谷派大阪教区に所属する寺院として法灯を守り続けています。
圓乗寺の境内は住宅地に囲まれた比較的狭い敷地にあり、正面には瓦葺きの山門が静かに構えています。山門脇には寺号や宗派を示す掲示板が設置され、古寺としての佇まいを感じさせます。
山門をくぐると、正面には細長いビル状の本堂が建ち、伝統的木造本堂とは異なる、都市部特有の近代的寺院建築となっています。本堂内部には阿弥陀如来をご本尊とした礼拝空間が設けられていると考えられます。
現代的な本堂建物には、寺務所や庫裏の機能が一体化しているとみられ、効率的な都市型の伽藍構成が採用されています。限られた敷地の中で、宗教施設としての機能性を追求した造りです。
境内の奥には僧侶の居住空間や納骨施設が備えられている可能性がありますが、一般非公開のため詳細は不明です。都市寺院として柔軟に機能を組み込んだ構造であることがうかがえます。
圓乗寺の建造物自体に文化財指定はありませんが、寺に伝わる「円乗寺真宗関係史料」は大阪市指定有形文化財に指定されており、寺院の歴史的価値を示す大切な宝となっています。
1517年
(永正14年)
澤田氏一族が当地に寺院(のちの圓乗寺)を開創したと伝わる。実如より下付された「方便法身阿弥陀如来画像」を含む真宗関係資料が伝来し、同寺の古い歴史と本願寺教団との深い関係を示している。
16世紀後半
(天正年間)
石山戦争期、豊崎一帯は本願寺門徒の有力集団「中嶋衆」の拠点の一つとなり、圓乗寺もその宗教圏の中核寺院の一つとして存在したと考えられる。
1602年
(慶長7年)
本願寺が東西に分立した際、圓乗寺は東本願寺(真宗大谷派)に属する寺院として存続したとされる。以後、東本願寺系寺院として歩みを続ける。
江戸時代
豊崎村の浄土真宗寺院として、現在の本堂敷地約〇〇坪(※)の境内を拠点に門徒の教化・法要を行い、地域に信仰の場を提供した。
1871年
(明治4年)
廃藩置県により寺院の管轄が大阪府となり、真宗大谷派寺院として近代を迎える。以後、大阪市街化の進行とともに地域寺院としての役割が変化していく。
1925年
(大正14年)
豊崎町が大阪市に編入され、圓乗寺は大阪市北区所属の寺院となる。都市化が進む中で寺院環境も変化を迎える。
1945年
(昭和20年)
大阪大空襲により周辺地域が被災。圓乗寺の堂宇も損壊した可能性があり、戦後は敷地の一部を地域に開放して復興に協力したと伝えられる。
1955年頃
(昭和30年代)
戦後復興期に本堂を鉄筋コンクリート造で再建し、現在見られる都市型伽藍構成が整う。寺務所や庫裏も併設される現代寺院として再出発した。
2016年
(平成28年)
「方便法身阿弥陀如来画像」を含む「円乗寺真宗関係史料」5点が大阪市指定有形文化財(歴史資料)に指定。圓乗寺の歴史的価値が正式に認められる。