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善覚寺ぜんかくじ

天正期に祐浄が開いた、西寺町ゆかりの浄土真宗大谷派寺院

所在地 大阪府大阪市北区兎我野町15-21
宗派 浄土真宗大谷派(東本願寺)
山号 法性山
本尊 阿弥陀如来
創建 天正8年(1580年)
開基 祐浄(ゆうじょう)
電話 06-6312-0165

戦国期に創建され、都市の中で念仏の伝統を守り続ける東本願寺派の寺院

善覚寺(ぜんかくじ)は、大阪市北区兎我野町に所在する浄土真宗大谷派(東本願寺)の寺院で、山号は法性山、本尊は阿弥陀如来です。天正8年(1580年)、僧侶・祐浄(ゆうじょう)が私財を投じて寺地を購入し、当地に善覚寺を開創したと伝えられています。

江戸時代初期、豊臣大坂城の落城後に徳川幕府が市街地を再整備した際、兎我野町南端には「西寺町」と呼ばれる寺院集住区が形成されました。善覚寺もその一角に位置し、寛文6年(1666年)の『大坂・天満真宗末寺衆由緒書』に名が載ることから、江戸前期にはすでに当地に定着していたことがわかります。

浄土真宗は町人層にも広く支持されたため、善覚寺も地域門徒を中心に発展しました。享保3年(1718年)には信徒の寄進で堂宇が再建され、明治期に入ると明治38年(1905年)に本堂・玄関・庫裏の大改築が行われています。しかし昭和20年(1945年)の大阪大空襲では類焼を防ぐため、やむを得ず堂宇を撤去し、戦後しばらく寺勢は中断しました。

その後、昭和41年(1966年)に本堂と庫裏が再建され、善覚寺は再び地域の念仏道場として歩みを取り戻しました。再建本堂は鉄筋コンクリート造の近代建築で、繁華街の景観に自然に溶け込む都市型寺院となっています。現在は檀信徒の墓所・法要の場としての機能を主とし、一般参拝は行われていませんが、地域の信仰の拠点として静かに存在し続けています。

  • 江戸期から続いた伝統伽藍の歴史

    善覚寺は江戸時代から昭和初期まで、本堂・山門・玄関・庫裏などを備えた伝統的伽藍を構えていました。享保3年(1718年)の再建や明治38年(1905年)の改築では檀家の協力により堂宇が整えられ、長く寺観を保っていたと伝えられています。

  • 戦災で失われた旧堂宇

    しかし昭和20年(1945年)の大阪大空襲では、延焼を防ぐため古い堂宇を撤去せざるを得ず、かつての伝統建築はすべて失われました。境内は長らく更地同然となり、寺勢は一時中断しました。

  • 昭和41年再建の近代的本堂と庫裏

    現在の堂宇は昭和41年(1966年)に再建された鉄筋コンクリート造の建物で、2階建て程度の近代建築です。外観は簡素で、従来の寺院建築のような山門はなく、扉付きの玄関が正面入口となっています。

  • 本堂と庫裏を一体化した都市型寺院

    内部には本尊の阿弥陀如来を安置した本堂空間があり、寺務所や住職住宅を兼ねる庫裏と一体化した構造になっています。都市部に立地する寺院として実用性を重視したつくりとなっています。

  • 文化財指定のない現代伽藍

    建築物や什物に文化財指定を受けたものはなく、歴史的建造物の遺構も残っていません。再建後の善覚寺は、地域の法要と墓所管理を中心とした役割を担いながら現代的寺院として活動しています。

善覚寺のあゆみ

  • 1580年
    (天正8年)

    祐浄による善覚寺の開創

    僧侶・祐浄が当地に善覚寺を開創。兎我野町における浄土真宗寺院の歴史が始まる。

  • 1666年
    (寛文6年)

    『大坂・天満真宗末寺衆由緒書』に寺号が記載

    善覚寺の寺号が文献に登場し、江戸前期にはすでに当地に定着していたことが確認される。

  • 1718年
    (享保3年) 12月

    堂宇の再建

    信徒の寄付により本堂などの堂宇を再建。地域門徒の支えにより寺観が整えられる。

  • 1905年
    (明治38年) 2月25日

    本堂・玄関・庫裏の再建

    近代初期に本堂のほか玄関・庫裏が再建され、寺院伽藍が大きく整備される。

  • 1945年
    (昭和20年) 3月

    大阪大空襲で堂宇を喪失

    大阪大空襲により善覚寺のすべての堂宇が焼失。延焼を防ぐため旧堂宇を撤去し、境内は更地同然となる。

  • 1966年
    (昭和41年)

    現本堂・庫裏の再建

    鉄筋コンクリート造の本堂および庫裏を現在地に再建。都市型寺院として再出発を遂げる。

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