| 寺院名 | 善源寺(ぜんげんじ) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市西区本田3丁目2-23 |
| アクセス | 大阪メトロ中央線・阪神なんば線「九条駅」徒歩5分 |
| 宗派 | 黄檗宗(禅宗) |
| 山号 | 霊雲山(れいうんざん) |
| 本尊 | 釈迦如来 |
善源寺は、中国から伝来した黄檗宗に属する寺院で、 江戸時代に大阪市西部の本田・九条界隈に創建されたと伝えられる古刹です。 開山や正確な創建年は明らかではありませんが、 18世紀末に編まれた地誌『摂津名所図会』にもその名が記されており、 当時すでにこの地に禅寺として存在していたことがうかがえます。 黄檗宗は、江戸時代初期に明(中国)から渡来した隠元禅師を宗祖とし、 京都・宇治の萬福寺を大本山とする禅宗の一派で、 善源寺もその法脈を受け継ぐ末寺の一つです。 江戸期の本田・九条周辺は新田開発によって商人町として発展し、 多くの寺社が建立されましたが、 善源寺も地域の信仰を支え、黄檗禅の教えを伝える拠点として機能してきました。 明治維新後の廃仏毀釈の動きの中でも寺門は守られ、 同名寺院が他地域で廃絶する中にあっても、 当地で法灯を絶やすことなく存続してきた点は特筆されます。 第二次世界大戦中の大阪大空襲では、 西区一帯が甚大な被害を受け、善源寺の伽藍も焼失したと伝えられますが、 戦後は檀信徒の尽力により堂宇が再建されました。 現在も一般参拝は行われていないものの、 地域の菩提寺として静かにその役割を果たし続けています。
善源寺は一般参拝が許可されていないため、見学は外観からとなります。 正面には木造の薬医門風の山門が構えられ、 上部には毛筆体で「霊雲山善源寺」と記された寺号額が掲げられています。 門前には寺院名と宗派を示す石柱や 「黄檗宗善源寺」と記された表札も立ち、 都市の中にありながら禅寺としての静かな風格を伝えています。
周囲を塀に囲まれた境内はこぢんまりとしていますが、 扉越しに垣間見える内部は清掃が行き届き、 小規模ながらも厳かな雰囲気が感じられます。 塀越しには本堂の屋根瓦の一部が見え、 近代的な建築様式と伝統的意匠が調和した堂宇であることがうかがえます。
善源寺の周囲には、同じ黄檗宗の九島院をはじめ、 他宗派の寺院も点在しており、 本田地区一帯には今も寺町の面影が残されています。 門前に静かに佇み外観を眺めることで、 喧騒の大阪市街地の中に息づく 古寺の落ち着いた雰囲気を味わうことができます。
江戸時代
(17~18世紀)
黄檗宗の寺院として創建される。 九条島新田の開発(寛永10年〈1633年〉以降)に伴い建立されたとされ、 開基や正確な創建年は不詳ながら、 江戸後期までに寺観が整えられた。
18世紀後期
(天明・寛政年間)
地誌『摂津名所図会』に寺名が登場し、 当時すでに善源寺が地域の禅寺として認知されていたことが確認される。 周辺の九島院や奥禅院などとともに、 黄檗宗寺院群を形成していた。
明治時代
(19世紀後期)
明治維新後の廃仏毀釈の影響を受けながらも寺門を守り存続。 同名寺院であった都島区善源寺町の善源寺が 明治40年(1907年)に廃寺となる中、 本田の善源寺は寺域を保全した。
1945年
(昭和20年)
大阪大空襲により西区一帯が甚大な被害を受け、 善源寺の堂宇も焼失したとみられる。 草創以来の伽藍が失われる大きな転機となった。
1950年代
(昭和30年代)
戦後復興期に本堂や山門などを再建。 鉄筋コンクリート造を用いた近代的な堂宇として再興され、 檀信徒の墓所管理や年忌法要を担う菩提寺としての役割を再び果たす。
平成以降
一般参拝不可の非公開寺院として維持管理が続けられている。 平成以降も修繕や補修が重ねられ、 地域の歴史的遺産として静かに佇み続けている。