| 所在地 | 大阪府大阪市北区西天満6-6-20 |
|---|---|
| 宗派 | 日蓮宗 |
| 山号 | 法華山(ほっけざん) |
| 本尊 | 阿弥陀如来(あみだにょらい) |
| 創建 | 文禄4年(1595年) |
| 開基 | 霊誉義空上人(れいよ ぎくう しょうにん) |
善正寺(ぜんしょうじ)は、大阪市北区西天満に所在する日蓮宗寺院で、文禄4年(1595年)に霊誉義空上人によって開創されました。 豊臣秀吉による大坂城下整備を背景に、北野村(現在の北区)一帯には多くの寺院が集められ、東西約1.5kmにわたる「天満寺町」が形成されました。 善正寺もその西側に位置する「西寺町」の一寺として地域の信仰を集め、江戸初期以来の歴史を歩んできました。
江戸時代後期には天満界隈で大火(堂島新地の大火)が発生し、善正寺も伽藍のすべてを焼失する被害を受けました。 しかし天保を経て弘化年間(1845〜1848年)、第十五世・禅誉、第十六世・三誉ら歴代住職と檀信徒の尽力によって再建が行われ、本堂をはじめとする堂宇が再興されました。 現在の本堂はこの幕末期再建の木造瓦葺き建築で、江戸後期の寺院建築の趣を今に伝える貴重な文化遺産です。
近代に入っても善正寺は重要な歴史を刻み続け、太平洋戦争末期の大阪大空襲では周辺が焦土と化す中で奇跡的に戦火を免れました。 そのため幕末期再建の本堂が現存する稀少な寺院となっています。 現在は一般非公開で堂内拝観は行われていませんが、外観越しに見える静謐な伽藍からは、大阪の寺町文化が育んできた歴史の深さを感じ取ることができます。
善正寺の入口には瓦葺きの端正な山門が構えられ、白壁と落ち着いた意匠が都市部にありながら寺院の風格を漂わせています。 境内は大規模ではありませんが、石畳と植栽が整えられ、静けさに包まれた空間が広がっています。都心部にありながら喧騒を忘れさせる一角です。
本堂は天保・弘化期に再建された木造瓦葺きの建物で、170年以上の時を経た現在でも江戸時代の建築様式を色濃く残しています。 戦災を免れたことから、大阪市中心部に現存する数少ない江戸期寺院建築として建築史的にも高く評価されています。 梁や瓦屋根の細部からは、当時の職人技が感じ取れ、歴史的価値の高い伽藍として大切に保存されています。
善正寺の境内には「痔の神様」として知られる秋山自雲霊神が祀られています。 秋山自雲は江戸中期の人物・岡田孫右衛門(1700〜1744年)で、没後に痔疾平癒の霊験がある護法善神として信仰を集めました。 痔に悩む人々が快癒を願って参詣したといわれ、現在でもひっそりと信仰が続けられています。 善正寺は非公開寺院ですが、この霊神への参詣や祈願が可能な場合もあり、地域に根ざした独自の信仰文化を今に伝えています。
善正寺には公的指定の文化財こそありませんが、境内には歴史的価値の高い本堂をはじめ、古くからの寺宝や石碑、古墓が大切に守られています。 これらの供養塔や碑文には、この地と結びついた人々の足跡が刻まれており、寺が辿ってきた時代の変遷を物語ります。 観光寺院ではないものの、大阪・天満の隠れた史跡として豊かな文化的魅力を放つ寺院です。
1595年
(文禄4年)
安土桃山時代末期、日蓮宗の僧・霊誉義空上人によって創建され、天満寺町形成期の古刹として歩みを始める。
1834年
(天保5年)
堂島新地を中心に発生した大火が天満一帯を襲い、善正寺の本堂・堂宇もすべて焼失する被害を受けた。
1841年
(天保12年)
焼失後の困難な状況の中、仮の堂宇が再建され寺院としての機能が維持された。
1845〜1848年
(弘化年間)
禅誉の後を継いだ三誉が中心となり本堂をはじめとする各堂宇を再興。現在残る江戸期再建の本堂はこの時期のものとされる。
1945年
(昭和20年)
大阪大空襲により周辺は焦土化したが、善正寺は奇跡的に戦火を免れたため、 江戸後期再建の木造本堂が今日まで残る貴重な寺院となっている。