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善徳寺ぜんとくじ

寛永年間に創建され、庄内地域に370年の歴史を刻む浄土真宗本願寺派の寺院

所在地 大阪府豊中市庄内東町3-12-20
電話 06-6331-3745
宗派 浄土真宗本願寺派
山号 清龍山(せいりゅうざん)
本尊 阿弥陀如来(あみだにょらい)
創建 寛永6年(1629年)頃(江戸初期)

大阪空襲を生き延びた本堂とともに、平和と信仰を今に伝える地域の古刹

善徳寺は大阪府豊中市庄内地区に約370年の歴史を持つ浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院である。江戸時代初期の寛永年間(1620年代後半)に当地の念仏道場として創建され、以来、地域住民の信仰を集めてきた。庄内は当時、能勢街道沿いの宿場町として栄えており、善徳寺は街道を行き交う人々や近隣の村々の心の拠り所となっていたと伝えられる。江戸後期の文化4年(1807年)には現在の本堂が建立され、白壁が美しい伝統的な木造建築が今も残る。本堂に隣接して観音堂があり、春には境内裏手の丘一面にツツジが咲き誇る季節に観音講中による縁日が開かれることで知られている。境内には桜やツツジなど四季折々の花木が植えられ、特にツツジの花期には彩り豊かな景観が広がる。

近代に入っても善徳寺は庄内地域に根ざした寺院として存続した。太平洋戦争末期の大阪空襲では、周辺の庄内東町一帯に焼夷弾が多数投下され多くの民家が焼失したが、善徳寺の本堂は屋根裏に刺さった不発弾が燃え尽きたことで奇跡的に焼失を免れた。門や柱には爆発した焼夷弾の破片が今も残されており、戦後、当時の住職は「傷を直せば歴史が消える」として敢えて修復せず痕跡を残す決断をした。これらの弾痕は現在も戦争遺構として保存され、平和の尊さを伝える場となっている。終戦の日には毎年、戦没者追悼法要が営まれ、地域の人々が戦争の記憶を共有している。

戦後の復興期には庫裡や客殿の再建が進み、昭和30年代には寺院施設の整備が本格化した。平成に入ると本堂の耐震補強や境内整備、墓地の改修などが行われ、平成6年(1994年)頃までに近代化が完了した。現在の善徳寺は都市近郊にありながら静寂を保つ信仰の場として、また庄内の歴史を今に伝える文化的存在として地域に親しまれている。年中行事としての報恩講やお盆法要に加え、戦争遺跡を活かした平和学習の場としても注目を集め、地域とともにその歴史を後世へと紡ぎ続けている。

  • 本堂

    文化4年(1807年)建立の入母屋造瓦葺きの本堂で、白漆喰塗りの外壁と重厚な瓦屋根が特徴。正面には虹梁や木鼻の意匠が施され、伝統的な格式を感じさせる造りとなっている。 内部には本尊・阿弥陀如来像を安置する内陣があり、荘厳な雰囲気を漂わせる(通常非公開)。 昭和20年の大阪空襲では屋根や柱に焼夷弾の弾痕が残り、戦禍の記憶を今に伝えている。これらの傷跡は当時の住職の意向で修復されず保存されており、平和への祈りを象徴する存在となっている。

  • 観音堂

    本堂に並んで建つ堂宇で、観世音菩薩を祀るお堂。江戸期に建立されたと伝わり、簡素ながらも温かみのある和風建築。 春にはツツジが咲き誇り、観音講による縁日が催され多くの参詣者で賑わう。 境内裏手の丘が紅紫色の花で埋め尽くされ、露店や法話が行われる様子は地域の風物詩として知られている。 観音堂の存在は、浄土真宗の教義を超えて庶民信仰と結びつき、地域の信仰文化を育んできた証でもある。

  • 山門(寺門)

    善徳寺の正門にあたる木造薬医門で、入母屋造瓦葺きの堂々たる構えを見せる。建立年代は明確ではないが、江戸末期から明治期にかけて整えられたと考えられている。 山号「清龍山」と寺号「善徳寺」の額が掲げられ、門前には寄進者名を刻んだ石標や常夜灯が配されている。 門をくぐると正面に本堂が望め、伝統的な寺院景観が広がる。門柱や扉には焼夷弾の破片による欠け跡が残り、静寂の中に戦争の記憶を今もとどめている。

  • 鐘楼(しょうろう)

    境内西側に建つ木造の鐘楼堂で、四本柱で支えられた入母屋造の小堂。明治期頃に再建されたと伝えられる。 吊るされた梵鐘は江戸中期の鋳造とされ、高さ約1メートル、鐘身には「天明」や「文化」などの年号や寄進者名が刻まれていると伝わる。 除夜の鐘の際にはその澄んだ音色が庄内の町に響き渡り、地域の人々に親しまれている。

  • 力石(ちからいし)

    本堂脇に据えられた重さ約100kgの大石で、天保年間(1830~1844年)に当地の若者組によって奉納されたもの。 表面には「奉納」「若中」などの文字と寄進者名が刻まれ、江戸時代の若者たちの力比べや信仰の風習を今に伝えている。 村の安全や五穀豊穣を祈願して奉納されたもので、現在は台座上に展示され、当時の文化を物語る境内の石造遺物となっている。

  • その他の石碑・史跡

    境内には他にも地蔵菩薩像や奉安塔台座など、地域と寺の歴史を伝える石碑群が点在する。 山門近くの地蔵菩薩像は寺の入口を静かに見守り、本堂横の奉安塔跡は戦後、地域の教育活動や寺子屋的役割を担った歴史を示している。 小さな史跡ながらも、善徳寺が長く地域とともに歩んできた証として境内に息づいている。

善徳寺のあゆみ

  • 1629年(寛永6年)

    善徳寺の開創

    浄土真宗本願寺派の寺院として創建。江戸幕府成立後間もない時期に、摂津国豊島郡庄内村に念仏道場が建立され、以後庄内地域の浄土真宗寺院として法灯を継ぐ。

  • 1807年(文化4年)

    本堂の再建

    白壁土蔵造風の堂宇として本堂を再建。阿弥陀如来を安置し、同時に境内や山門の整備も行われたとされる。

  • 1830~1844年(天保年間)

    力石の奉納

    庄内村の若者組が大石を奉納し、石面に「奉納力石」「若中」などの銘文が刻まれる。地域の信仰と庶民文化を示す史跡として現存。

  • 1945年(昭和20年)

    大阪大空襲と被災

    大阪空襲により周辺一帯が被災。本堂に焼夷弾が直撃するも不発で、堂宇の焼失を免れる。門や柱に残る弾痕が戦禍の記録として保存されている。

  • 1945年以降(昭和戦後期)

    戦後復興と再建

    戦後の復興期に仮本堂での法要を行いながら修復を実施。昭和30年頃までに庫裡や客殿を再建し、地域門徒の信仰拠点として再出発した。

  • 1980年代~1994年(昭和後期~平成6年)

    境内整備と近代化

    耐震補強や境内整備、永代供養施設の新設などを段階的に実施。平成6年頃までに多目的ホールや納骨施設が完成し、都市型霊園としての機能を備える。

  • 2000年代以降(平成~現代)

    戦没者追悼と保存活動

    毎年8月15日に戦没者追悼法要を継続開催。平成末期には本堂屋根の葺き替えと耐震補強を実施。令和期にはまち歩きコースや史跡紹介でも注目を集める。

  • 現在

    地域に根ざした寺院として

    善徳寺は江戸期建立の本堂・観音堂を有し、戦災の痕跡を今に伝える歴史的寺院。信仰と平和のメッセージを未来へ伝える場として、地域住民に親しまれている。

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