| 寺院名 | 悟真山 光明院 善導寺(ぜんどうじ) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市北区与力町2-5 |
| 宗派 | 浄土宗 |
| 山号 | 悟真山(院号:光明院) |
| 創建 | 文禄元年(1592年) |
| 開山 | 傳譽慶公上人(でんよ けいこう しょうにん) |
| 本尊 | 阿弥陀如来立像(一光三尊仏) |
善導寺(ぜんどうじ)は、大阪市北区・天満寺町に位置する浄土宗の寺院で、一般拝観は受け付けていませんが、その由緒の深さと歴史的価値で知られています。寺の起源は平安末期の養和元年(1181年)、奈良・東大寺再建で名高い俊乗坊重源上人がこの地に開いた「摂津渡辺道場」にさかのぼります。その後、文禄元年(1592年)に傳譽慶公上人が念仏道場として再興し、現在の善導寺としての歴史が始まりました。
江戸時代後期には、本堂や三重塔を備える壮大な伽藍を有し、天満の寺町を代表する大寺として繁栄しました。また、町人学者として知られる山片蟠桃や、三曲合奏の祖・近藤宗悦など、大阪文化史に名を残す人物の菩提寺としても知られ、地域の精神文化に深く関わってきました。
しかし昭和20年(1945年)の大阪大空襲で堂宇はすべて焼失し、寺は壊滅的被害を受けました。戦後、檀信徒の尽力によって本堂・庫裏が再建され、往時の雰囲気をとどめつつ寺院としての機能を取り戻しました。現在も春秋の彼岸会、盂蘭盆施餓鬼会、十夜会などの年中行事を営み、天満の地で静かに信仰を守り続けています。
善導寺の境内は戦後復興の過程で再整備されたものですが、戦前には三重塔や観音堂を備える壮麗な伽藍を持っていました。現在は再建本堂を中心に山門・庫裡・客殿が配置され、外周にはソメイヨシノの古木が植えられ、春には寺塀越しに美しい桜が咲き誇ります。
本堂は昭和52年(1977年)に鉄筋コンクリート造で再建された建物です。内部に安置される阿弥陀如来立像(一光三尊阿弥陀仏、高さ約58cm)は文久元年(1861年)、第17世鏡譽圓霊和尚が夢告によって自ら彫刻した前立本尊で、戦災で焼失した旧本尊に代わり現在の本尊として祀られています。
境内正面の山門は切妻造風の門で、庫裡とともに昭和30年代に再建されました。現在は閉門されていますが、開門時には近代的な本堂を門越しに望むことができ、寺町の一角に静かに佇む姿を見せています。
山門前には寺外墓地が広がり、大坂町人学者・山片蟠桃(大阪市顕彰史跡指定)、勤皇志士で三曲合奏の先駆者・近藤宗悦、大阪画壇の画家・西山芳園とその子・完瑛の墓碑が建っています。多彩な文化人の顕彰の場として、寺の歴史的価値を一層高めています。
1181年
(養和元年)
東大寺再建で知られる俊乗坊重源上人が、摂津国渡辺(現在の大阪・天満周辺)に念仏道場を開く。これが善導寺の遠い起源となる。
1592年
(文禄元年)
重源ゆかりの道場跡に、傳譽慶公上人が浄土宗の念仏道場として善導寺を正式に創建。天満の寺町を象徴する寺院としての歴史が始まる。
1855年
(安政2年)
本堂・庫裏・三重塔・鐘楼堂・観音堂など主要堂宇が整備され、一大伽藍が完成。観音堂には長谷型の聖観音立像が安置され、大阪三十三ヵ所観音霊場の札所となる。
1945年
(昭和20年)
本堂・塔・観音堂などすべての建造物を焼失。長谷観音像や寺宝も失われ、寺史上最大の被害となる。
1955年
(昭和30年)
境内整備が始まり、まず客殿(玄関堂)が再建される。戦後復興が段階的に進む。
1960年
(昭和35年)
庫裏(寺務所・住居)が再建され、寺院としての運営基盤が整う。
1977年
(昭和52年)
鉄筋コンクリート造の新本堂が落成し、善導寺の戦後復興がひとまず完成。近代的ながら往時の威風を偲ばせる堂宇となっている。