所在地 | 大阪府池田市畑4丁目22-14 |
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TEL | 0727535941 |
山号 | 圓通山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 阿弥陀如来坐像 |
創建 | 天正5年 |
開山 | 正恰 |
札所 | 摂津北部三十三箇所観音霊場 第28番札所 |
圓通山 吉祥寺(えんつうざん きっしょうじ)は、大阪府池田市畑にある曹洞宗の寺院で、天正5年(1577年)に創建された約450年の歴史を持つ古刹です。五月山の麓に位置し、境内にはソメイヨシノ(染井吉野)をはじめモミジやツバキ、サルスベリ(百日紅)など四季折々の草木が彩り、静寂な環境の中で地域住民の信仰を集めてきました。曹洞宗大本山永平寺・總持寺の流れを汲む禅寺であり、摂津北部三十三箇所観音霊場(摂北観音霊場)の第28番札所となっています。伝承では奈良時代の天平3年(731年)に行基菩薩が当地で千手観世音菩薩像を刻んで安置したのが開創とも伝えられますが、実際の開山は戦国時代後期のことであり、その歴史は安土桃山時代から始まります。
境内は小規模ながら、江戸時代建立の本堂を中心に山門や墓地(桜墓苑)などの伽藍が配置され、四季の草花に囲まれた静かな佇まいを見せています。
山門は境内入口に構える木造瓦葺きの門で、切妻造の屋根を持つ質素な薬医門形式の造りです。石段を少し登った先に位置し、正面奥の本堂へと参道が続きます。両脇に金剛力士像(仁王像)は安置されておらず、こぢんまりとした印象の門ですが、静かな境内の入口として趣きをたたえています。
本堂は江戸時代に建立された入母屋造本瓦葺きの木造建築です。正面から見ると質実な禅寺らしい佇まいですが、内部は仏堂(内陣)と位牌堂からなり、位牌堂には旧麻田藩主であった青木氏歴代当主の位牌が安置されています。本堂正面には「瑞光殿(ずいこうでん)」と記された扁額が掲げられていますが、この額は江戸時代の禅僧・隠元隆琦禅師(黄檗宗開祖)による直筆の奉納額です。隠元禅師揮毫の「瑞光殿」額は、寺の由緒を今に伝える寺宝の一つとなっています。
吉祥寺の御本尊は阿弥陀如来の坐像です。曹洞宗の禅寺では釈迦如来を本尊とする例が多い中、本寺では阿弥陀仏を本尊としている点が特色であり、近隣の同宗寺院(西畑の西福寺は釈迦如来、渋谷の自性院は観音菩薩を本尊とする)とも異なる信仰の形を示しています。この阿弥陀如来像の詳しい由来は定かではありませんが、像容は安らかな表情で坐し、長年にわたり地域の人々の信仰を集めてきました。
1552年
(天文21年)
寺伝によれば、天文21年(1552年)に池田市畑の大廣寺六世・雪岫禅師の弟子であった僧・正恰(しょうこう)によって開かれたと伝えられています。正恰はこの地に草庵を結び、師である雪岫禅師から法脈を継いで寺の基礎を築いたとされます。なお、創建当初の本尊は千手観音菩薩であったともいわれています(行基開創の伝説)。
1577年
(天正5年)
天正5年(1577年)、織田信長の支配下にあった当地で寺領を与えられ、正式に吉祥寺が開創されました。初代住職(開山)には前項の正恰が就き、曹洞宗の寺院としての歴史がここから本格的に始まります。以後、江戸時代に至る戦乱の時期にも寺は存続し、北摂の禅刹として信仰を集めました。
1654年
(承応3年)
江戸時代には、当地一帯を領有した麻田藩(青木氏)からの庇護を受けました。承応3年(1654年)、麻田藩第2代藩主の青木重兼が東畑村に黄檗宗の仏日寺を建立して青木家の菩提寺としましたが、吉祥寺も引き続き藩内の寺院として厚く尊崇され、歴代藩主の位牌は本堂内の位牌堂に安置されました。また吉祥寺は東畑村の檀那寺(村寺)として村民たちの信仰を担い、地域によって維持・支えられてきました。
1868年
(明治元年)
明治維新期、神仏分離令に端を発した廃仏毀釈の風潮により、一時は無住職となるなど寺運衰微の危機もありました。しかし檀家や地域住民の尽力によって寺は護持され、その後も法灯は絶えず現在まで約450年にわたり受け継がれています。