所在地 | 大阪府吹田市千里山西1-37-42 |
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電話 | 06-6384-0747 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
山号 | 如是山(にょぜさん) |
本尊 | 阿弥陀如来(木造) |
創建 | 1929年(昭和4年) |
開基 | 武田達誓(初代住職) |
文化財 | 本堂(昭和3年建造の京都御苑饗宴場を移築、国登録有形文化財) |
千里寺は昭和初期、大阪の北郊・千里丘陵の宅地開発に伴い誕生しました。大正10年(1921年)の北大阪電鉄(現・阪急千里線)千里山駅開業により住宅地が造成される中、地域には寺院がなく仏教信仰の場が求められていました。 そこで西本願寺の命を受けた布教師・武田達誓師が布教拠点を築き、昭和4年(1929年)「千里山仏教会館」として開設したのが始まりです。達誓師は全国的に著名な講演僧で、多くの参詣者が押し寄せ盛大な開館法要となったと伝わります。 戦後の昭和21年(1946年)には宗教法人「千里寺」と改称し、達誓師の次男・武田覚誓師が初代住職に就任しました。
昭和26年(1951年)頃から伽藍整備が進み、本堂再建計画が始まりました。再建された本堂は、昭和天皇御大礼(即位式)のため昭和3年(1928年)に京都御苑に建てられた饗宴場の一部を移築したものです。 この建物は御大礼後に解体・払い下げられ、関西大学で「威徳館」として利用されていたものを譲り受け、昭和32年(1957年)に千里寺本堂として落成しました。設計は宮内省内匠寮の技師によるもので、格式ある和風宮殿建築の様式が受け継がれています。 内部は黒漆塗りの二重折上格天井に花模様の天井画が施され、中央の阿弥陀如来像の上には直径1.5メートルのシャンデリアが輝きます。この豪華な照明は饗宴場由来のもので、社寺建築としては異色の存在ながら皇室ゆかりの歴史を伝える遺構です。 平成14年(2002年)には本堂が国の登録有形文化財に指定されました。鐘楼や山門、納骨堂も整備され、現在は第2世住職・武田達城師のもと、信仰の場であると同時に文化交流の場としても親しまれています。特に関西大学との縁から、OBによる落語会が毎年本堂で催され、地域と大学を結ぶ独自の文化的役割も担っています。
千里寺の本堂は、昭和天皇即位の御大典饗宴場を移築・再活用した堂宇で、桁行約30メートル・梁間約17メートルという堂々たる規模を誇ります。 入母屋造・本瓦葺の外観は伝統的寺院建築でありながら、近代和風宮殿建築の意匠が細部に宿されています。 内部は通常非公開ですが、黒漆塗りの折上格天井に極彩色の花模様が描かれ、豪華なシャンデリアが輝く空間は必見です。 本尊の阿弥陀如来を中心に脇侍や欄間彫刻も見応えがあり、登録有形文化財としての碑や解説板も設置されています。
石段を上った正面に構える薬医門風の山門は、昭和30年代に建立されました。 切妻屋根に本瓦を葺いた堂々たる木造門で、白壁と柱のコントラストが美しく、千里寺の玄関口にふさわしい風格を漂わせます。 門前の石碑「浄土真宗 本願寺派 如是山 千里寺」と相まってフォトジェニックな景観を作り出し、写真撮影スポットとしても人気です。
昭和30年代に建立された木造の鐘楼堂は、方形屋根の小ぶりな建物です。 朝夕に撞かれる梵鐘の音は住宅街に響き渡り、千里寺の風情を演出します。 元日や盂蘭盆会には除夜の鐘・迎え鐘が行われることもあり、参拝時には緑に映える鐘楼の趣ある姿を楽しむことができます。
本堂の横には、昭和後期に建てられた鉄筋コンクリート造の宝物殿があります。 千里寺に伝わる什物や古文書を保管・展示する施設で、通常は非公開ですが、過去には資料展が開かれたこともあります。 白壁に瓦屋根を載せた外観は本堂と調和し、境内の静かな見どころの一つです。
境内には本堂正面の石灯籠や、歴代住職のお墓が祀られた墓地エリアもあります。 春には新緑と白壁のコントラストが爽やかな景観を生み、秋には落葉が石畳を彩り、鐘の音とともに風情を感じさせます。 寺務所では御朱印の授与は行っていませんが、法要や行事の日には参拝者にお茶が振る舞われ、温かなもてなしに触れることができます。
1929年
(昭和4年)
千里山西の水源地付近に「千里山仏教会館」として開設(開基:武田達誓師)。新興住宅地・千里山で初の仏教寺院となる。
1946年
(昭和21年)
戦後の宗教法人制度に伴い寺号を「千里寺」へ改称。初代住職に武田達誓師の次男・武田覚誓師が就任。
1953年
(昭和28年)
関西大学千里山キャンパスの旧講堂「威徳館」が解体決定。関大OB檀家の仲介により建材を千里寺本堂へ譲渡することが合意。
1957年
(昭和32年)
威徳館の建材を用いて本堂を再建。4月に「本堂落成法要」を盛大に厳修し、現在の本堂が落慶(設計は宮内省内匠寮)。以後、鐘楼・山門・納骨堂など伽藍を順次整備。
1992年
(平成4年)
2月、千里寺本堂が大阪府指定有形文化財に指定(のち国登録文化財へ移行)。11月、武田達城師が第2世住職に就任。
2002年
(平成14年)
千里寺本堂が国の登録有形文化財(建造物)に登録。境内整備や修復工事を行い、貴重な建築の保存と公開に努める。
令和時代
(現在)
月例法座「如是会」や報恩講などの行事を継続開催。地域住民や関西大学との交流も盛んに行われ、観光客にも開かれた寺院として親しまれている。