| 寺院名 | 海光山 勝遍寺(しょうへんじ) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市西淀川区姫島1丁目4-23 |
| 山号 | 海光山 |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 創建 | 1912年(大正元年) |
| 本尊 | 不動明王(推定) |
| 備考 |
近代創建の町中寺院。 永代供養・納骨堂を備え、地域に開かれた供養の場を提供。 姫島小学校東門脇から境内に入る独特の立地。 |
勝遍寺は、大正初年(1910年代初頭)に、当時の大阪府西成郡千船村(現在の大阪市西淀川区姫島付近)に弘法大師(空海)を祀る大師堂を建立したことに始まります。創建当時は大阪市に編入される以前の村域で、開山者によって小祠から出発した、比較的新興の高野山真言宗寺院でした。
太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)3月、大阪大空襲により本堂は灰燼に帰し、寺院は大きな被害を受けました。戦後は長らく仮堂で信仰をつなぎましたが、昭和58年(1983年)に現在の本堂が再建され、寺院としての体制が整えられました。その後、本堂裏手の土地約200平方メートルを取得するなど、寺域の整備・拡張が進められています。
平成13年(2001年)には創建百周年を迎え、檀信徒の協力のもとで納骨堂「慈眼堂」の建立、境内塀の新設、本堂外壁の塗装や屋根の補修など、大規模な整備事業が実施されました。これらの取り組みにより、勝遍寺は近代的な設備を備えた寺院として再興を遂げ、現在では地域に根ざした供養と信仰の場として歩みを続けています。
現在の本堂は1983年(昭和58年)に再建された鉄筋コンクリート造の近代的な堂宇です。内部には真言密教の本尊・不動明王が安置され、渋い表情で堂内を守護しています。あわせて弘法大師(空海)像も祀られており、毎月21日には月並大師講として縁日法要が営まれます。戦災を乗り越えて建立された本堂は、新しいながらも真言宗寺院らしい厳かな雰囲気を湛えています。
山門は姫島小学校東門のすぐ脇に位置し、道路に面して設けられています。楼門形式ではなく、コンクリート塀と一体化した現代的な門柱で、寺号碑が掲げられています。周囲が学校や住宅に囲まれているため目立ちにくいものの、関係者が出入りしやすい開かれた門構えとなっています。
本堂に隣接して2001年(平成13年)に建立された納骨堂です。鉄骨造の近代建築で、屋内に多数の納骨壇を備えています。宗派を問わず利用できる永代供養施設で、毎日僧侶による読経が行われ、彼岸やお盆には合同法要が勤められます。天候に左右されず参拝できる点も特徴です。
境内は都市型寺院らしくコンパクトながら、石畳や植栽が整えられ、清潔感のある空間となっています。水子地蔵などの小さな石仏や祠も点在し、参拝者を静かに迎えています。
境内には鐘楼や塔は設けられていませんが、数台分の駐車スペースが確保され、法事や納骨で訪れる檀信徒の利便性が考慮されています。寺域は塀で囲まれており、外からは本堂屋根や山号板を望むことができます。
1912年
(大正元年)
大阪府西成郡千船村姫島に、弘法大師を祀る大師堂が建立され、海光山勝遍寺の創建とされます。初代住職により開山され、真言宗寺院として歩みを始めました。
1925年
(大正14年)
千船村が大阪市に編入され、西淀川区が成立します。これにより、勝遍寺の所在地も大阪市西淀川区となりました。
1945年3月
(昭和20年)
大阪大空襲により本堂が全焼し、境内伽藍の大半を失いました。寺院は戦災による大きな打撃を受けます。
1983年
(昭和58年)
戦後復興事業として鉄筋コンクリート造の新本堂が再建され、落成法要が厳修されました。同年、本堂裏手の土地約200㎡を取得し、庫裡など付帯施設の整備も進められました。
2001年
(平成13年)
創建100周年を記念し、大規模改修を実施。納骨堂「慈眼堂」の新築、境内塀の新設、本堂外壁塗装や屋根修復工事が完了しました。
2020年
(令和2年)
新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、一部年中行事の縮小やオンライン法要を導入し、社会状況に対応した寺院運営が行われました。
2025年
(令和5年・予定)
本堂の屋根瓦補修などを中心とした改修工事が予定されており、伽藍の維持と安全性向上が図られる見込みです。