所在地 | 大阪府箕面市稲3丁目4-24 |
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宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
山号 | 松谷山(しょうこくざん) |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建 | 天文18年(1549年) |
開基 | 祐珍(ゆうじん)<毛坊松渓三郎太夫、後に剃髪して祐珍と改名> |
戦国時代の天文18年(1549年)、当地の道場主であった毛坊松渓三郎太夫が出家し祐珍(ゆうじん)と称して開山、本願寺第10世・証如上人から寺院として公認を受けたことに始まる古刹です。寺院名の「勝満」は「勝利」を意味し、その縁起の良さから「勝運の寺」としての響きも感じられます。実際、大阪府箕面市には必勝祈願で有名な勝尾寺(勝ちダルマで有名)もありますが、こちら勝満寺はそれとは対照的にひっそりと地域に根差した浄土真宗のお寺です。 寺の佇まいは、箕面市稲エリアの歴史的な町並みの一角にあり、旧西国街道沿いにひっそりと門を構えています。周辺には江戸時代の面影を残す街道筋の風景が広がり、散策すれば古き良き時代にタイムスリップしたような気分を味わえるでしょう。勝満寺の名前が示すとおり「勝利」にあやかった寺ですが、観光地化された大寺院とは異なり、地域の檀家さんに支えられてきた家庭的で静かな雰囲気が魅力です。長年この稲地区に暮らすご家庭は、西稲村の教学寺または東稲村の勝満寺を代々の檀那寺としてきたといい、当地に深く根付いたお寺であることがうかがえます。
勝満寺の境内は高い塀と門に囲まれ、普段は内部非公開ですが、塀越しに伝統的な和風建築の伽藍を見ることができます。昭和5年(1930年)に再建された本堂は入母屋造りの瓦屋根を頂く堂々としたもので、平成4年(1992年)には改修も施され現在に至ります。浄土真宗本願寺派の寺院らしく質実な佇まいの本堂内部には、ご本尊の阿弥陀如来がお祀りされ、畳敷きの広間では門徒(檀家)による法要が営まれてきました。山門(正門)はシンプルな薬医門風の造りで、街道沿いにひっそりと立っています。その門前には寺報掲示板が設置され、親鸞聖人の言葉や年間行事の案内などが掲げられており、地域の人々の信仰生活を感じることができます。 境内そのものはこぢんまりとしていますが、寺のすぐ近くには芝村の高札場跡など江戸時代の史跡も残っています。高札場跡の案内板によれば、西国街道と村の通りが交差する人通りの多い場所に設けられていたとのことで、当時この辺りが交通の要衝であったことを物語っています。古道沿いに位置する勝満寺もまた、そうした旅人や地域住民にとって身近な祈りの場であったことでしょう。寺の外からでも、季節によっては塀越しに木々の緑や空の青さと寺院建築のコントラストを楽しむことができ、街道散策の途中に立ち寄って外観を眺めるだけでも、往時の情景に思いを馳せることができます。
1549年
(天文18年)
毛坊松渓三郎太夫が浄土真宗に帰依して出家し、祐珍と号して開山。本願寺第十世・証如より寺院としての認可を受け、「勝満寺」として創建される。
1664年
(寛文4年)
江戸時代に入り、本堂をはじめとする伽藍を再建。戦国期創建の堂宇が老朽化または戦乱により損傷していたと考えられ、この年に建て替えが行われた。
1731年
(享保16年)
従来の寺地から現在の箕面市稲3丁目に伽藍を移転。以後この地を拠点とする。移転理由は定かではないが、地域開発や街道整備の影響と考えられる。
1930年
(昭和5年)
本堂を含む主要伽藍を近代的な建築技術で再建。木造瓦葺きの伝統様式を踏襲しつつ、新たな本堂が建立される。
1992年
(平成4年)
老朽化した本堂の修復と耐震補強を目的に、大規模な改修工事を実施。現在も地域の法要・年中行事に使用されている。