| 所在地 | 大阪府大阪市北区大淀中4丁目5-12 |
|---|---|
| TEL | 06-6458-1446 |
| 山号 | 長慶山(ちょうけいざん) |
| 宗派 | 黄檗宗 |
| 本尊 | 釈迦如来 |
| 創建 | 推古天皇朝(6世紀末〜7世紀初頭頃)※伝・聖徳太子創建 |
勝楽寺(しょうらくじ)は、大阪市北区大淀の地に佇む黄檗宗寺院で、寺伝では飛鳥時代・聖徳太子の創建と伝えられる、 当地でも最古級の歴史をもつ古刹です。鎌倉時代の承久3年(1221年)には、「浦江村正楽寺」の名で大般若経135巻が 安置された記録が残り、古くからこの地に寺院が存在したことを裏付けています。
戦国時代には、戦国大名・三好長慶が父・三好元長の弔い合戦に臨む際、当寺に陣を敷いたとされます。 勝利後、荒廃していた寺を再興し、父の菩提を弔うとともに、自らの名にちなみ山号を「長慶山」と改めました。 寺号は江戸前期まで「正楽寺」のままでしたが、延宝6年(1678年)に嵯峨の直指庵の僧・竹嵓(ちくがん)が再建し、 黄檗宗寺院として再興したのち、正徳4年(1714年)に現在の「勝楽寺」へ改称したと伝えられます。 寺号の「勝」は、三好長慶の戦勝譚に由来するとされ、以来、長慶ゆかりの寺として現在まで静かにその歴史を継承しています。
勝楽寺は大淀の住宅街の一角に位置し、近隣には浦江公園もある静かな環境に佇みます。 境内は非公開のため山門は閉ざされていますが、門前からは石碑や石仏が整然と並ぶ様子が見え、 古刹としての歴史の深みを感じ取ることができます。周辺は織田信長と石山本願寺の抗争期に 織田方が築いた「浦江城」の城域にあたるとされ、寺の西側には「城ノ内」という地名も残っています。 再建を重ねながら戦国〜近世の歴史を今に伝える、城跡の一角に建つ貴重な寺院です。
境内には江戸末期の郷土史家で『摂津名所図会大成』の編纂者として知られる暁鐘成(あかつき かねなり)の墓所があります。 暁鐘成は当地の醤油醸造家・木村家に生まれ、万延元年(1860年)に没しました。 その業績を顕彰するため、昭和46年(1971年)に大阪市が顕彰碑を建立しており、 現在も寺内に碑が残る歴史的スポットです。文学・郷土史研究に関心のある人々にとって必見の史跡となっています。
羽間重富(はざま しげとみ/七代目・羽間五郎兵衛)は、寛政暦の編纂に携わり幕府から従五位を授けられた 大阪の町人天文学者です。境内には重富およびその一族の墓所が残されており、 供養塔や系譜を刻んだ石碑が並び、江戸の町人文化・天文学史の一端を偲ぶことができます。 一般公開はされていませんが、勝楽寺が学問史にも関わる寺院であることを示す重要な遺構です。
飛鳥時代
(推古天皇期)
寺伝により、この時代に聖徳太子が当寺を創建したと伝えられ、当地最古級の寺院としての由緒が始まる。
1221年
(承久3年)
『摂津志』に、大般若経135巻が当寺に安置された記録が残り、 中世には「浦江村正楽寺」として当地に寺院が存在していたことが確認される。
16世紀後半
(戦国時代末期)
三好長慶が父・元長の弔い合戦の際に当寺に陣を敷き、勝利後に寺を再建。 その際、自らの名にちなみ山号を「長慶山」と改めたとされる。
1678年
(延宝6年)
荒廃していた寺を嵯峨・直指庵の僧・竹嵓が再建し、以後黄檗宗に属する寺院として寺運が整えられる。
1714年
(正徳4年)
旧名「正楽寺」から現在の「勝楽寺」へと改称。 「勝」は三好長慶の戦勝譚に由来すると伝わる。
1786年
(天明6年)
境内に「木村家一族代々之墓」が建立。 大淀地域の文化・経済史を物語る史跡の一つとなる。
1860年
(万延元年)
大阪の郷土史・文学史に名を残す暁鐘成(木村弥四郎)が没し、当寺に葬られる。 のちに墓所は大阪市指定史跡となる。
1971年
(昭和46年)
大阪市により暁鐘成の業績を顕彰する石碑が境内に建立。 勝楽寺が文人ゆかりの寺として広く認知される契機となる。