所在地 | 大阪府豊中市本町3-11-28 |
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電話 | 06-6852-5722 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
光源寺(こうげんじ)は、大阪府豊中市本町3丁目に所在する浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院である。 文禄元年(1592年)に開かれたと伝えられ、豊臣政権下の安土桃山時代からおよそ430年以上の歴史を有する。 開基(創立者)の詳細は伝わっていないが、石山合戦後に再興された本願寺教団の流れを汲み、当地の門徒によって創建されたと考えられている。 創建当初から本尊には阿弥陀如来が安置され、江戸期を通じて地域の信仰を集める念仏道場として機能してきた。
明治維新後も廃仏毀釈の影響を免れ、浄土真宗の寺院として存続。 近代以降は都市化が進む豊中市街地において門信徒の菩提寺としての役割を果たしてきた。 昭和後期には本堂が建て替えられ、現在の本堂は鉄筋コンクリート造の近代的な構造となっている。 また、山門(正門)も新たに整備されており、通常は門扉が閉ざされていて平常時は境内への立ち入りが制限されている。 現在の住職は蔭山昌樹師で、地域の門徒中心に運営がなされており、一般参拝には開放されていないものの、 長い歴史と静寂に包まれた信仰の場として今も受け継がれている。
光源寺の本堂に安置される本尊・阿弥陀如来像は、創建当初から祀られてきた寺の象徴的存在。 豊かな光明を放つ姿から寺号「光源寺」の由来になったともいわれる。 制作年代は不詳だが江戸時代以前の作と伝わり、寺内で最も重要な信仰対象となっている。 公的な文化財指定はないものの、門徒にとって深い崇敬を集める尊像である。
本堂脇にそびえるクスノキの巨木は、豊中市の「保存樹木」に指定されている。 樹齢は推定数百年に及び、かつての寺域から今日まで生育してきた歴史の証人でもある。 その堂々たる姿は境内に風格を与え、季節ごとに新緑・蝉時雨・紅葉と移ろいを見せる。 市の天然記念物的存在として地域の人々からも大切に守られている。
鉄筋コンクリート造の近代的な建物で、往時の木造本堂を継承する。 入母屋造風の屋根を持ち、内部は畳敷きの広間で、金色に輝く阿弥陀如来を安置。 内陣と外陣に分かれ、法要の際には多くの門徒が集う。普段は法事・法要時のみ使用されるが、堂前からでも荘厳な雰囲気を感じ取ることができる。
光源寺の表玄関であり、寺の顔ともいえる存在。 現在の山門はコンクリート造で、伝統的な三門形式ではなく、門柱と扉からなる簡素な造りとなっている。 普段は門扉が閉じられているが、門前には寺号標石と掲示板があり、境内への入口を示している。 門越しに望む本堂とクスノキが調和し、外からでも静謐な雰囲気を味わえる。
本堂脇に根を張る巨大なクスノキは樹高約20メートル。幹回りも太く、豊中市内有数の巨木として知られる。 市の保存樹木に指定され、由緒を示すプレートも設置。 新緑の春から紅葉の秋まで四季折々に美しい姿を見せ、戦災や都市開発を乗り越えた歴史の生き証人として、光源寺の象徴となっている。
境内には石灯籠、古い石碑、地蔵尊などが点在しており、江戸時代から昭和期にかけて門徒らが奉納したものが多い。 山門脇には「日野山光源寺」と刻まれた寺号標石が立ち、格式を示している。 また境内の一隅には歴代住職や門徒の墓碑がまとめられた墓地区域もあり、長い歴史を静かに語り続けている。
1592年(文禄元年)
豊臣政権下の文禄元年に創建。浄土真宗本願寺派の寺院として開基され、阿弥陀如来を本尊とする念仏道場として歩みを始める。
江戸時代
豊島郡内の浄土真宗寺院の一つとして発展。法要や寺子屋教育を通じて地域住民の信仰と学びの拠点となり、庄内・豊中地域に深く根付く。
20世紀後半(昭和期)
老朽化した木造堂宇を再建し、鉄筋コンクリート造の近代的な本堂を新築。戦後の都市化に対応し、現代的な寺院施設へと改築される。
平成以降
境内のクスノキが豊中市の「保存樹木」に指定。歴史的景観を守りながら、都市環境の中で地域の信仰と文化を伝える寺として保存・継承に努めている。