| 寺院名 | 幣帛山 光明寺(こうみょうじ) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市西淀川区御幣島4丁目14-12 |
| 山号 | 幣帛山(へいはくさん) |
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建 | 嘉吉2年(1442年) |
| 開基 | 紀貞之(き・さだゆき/法名:紹郡上人) |
| 主な文化財等 |
武内宿禰・紀定盛の墓伝承(境内) 紀貫之の歌碑(境内) |
光明寺は、室町時代中期の嘉吉2年(1442年)、武内宿禰の子孫と伝わる公家・紀貞之(兵部卿)が、浄土真宗の中興の祖である本願寺第8世・蓮如上人に深く帰依し、当地に創建した浄土真宗本願寺派の古刹です。開基の紀貞之は法名を紹郡上人と称し、門徒寺院として光明寺の基礎を築きました。
山号「幣帛山」は、寺地である御幣島(みてじま)の地名に由来すると伝えられています。古くは神功皇后が三韓征伐からの凱旋の際、この地に上陸して住吉大神を祀り、「御幣(みてぐら)」と呼ばれる奉献物を捧げたという伝承にちなむものです。平安時代には難波八十島の祭場の一つとして朝廷の祭祀が行われたとも伝えられ、御幣島一帯はきわめて由緒ある土地でした。
こうした歴史を背景に、光明寺の境内には、神功皇后に仕え五朝にわたり活躍したとされる伝説的豪臣・武内宿禰と、その子孫である紀定盛の墓と伝えられる八基の石塔が祀られています。また、平安時代の歌人・紀貫之が当地を詠んだ和歌「ふる雪に 木々の梢を ながむれば しろたえなれや みてくらのしま」の歌碑も残されており、この地が古くから国家的儀礼や文化と深く関わってきたことを今に伝えています。
現在の光明寺山門には寺号「光明寺」の扁額が掲げられ、その奥には鉄筋コンクリート造平屋建ての本堂が建っています。山門脇には「蓮如上人・一休宗純禅師御遺跡地」と刻まれた石標が立ち、当寺が本願寺中興の蓮如上人、ならびに臨済宗の高僧・一休宗純禅師ゆかりの地であることを示しています。
開基の紀貞之は浄土真宗の門徒でありながら一休宗純と深い親交を結んでいたとされ、一休が西国巡錫の際には光明寺に逗留したと伝えられています。現在も寺内には、一休宗純自筆の自画像と賛を伴う掛軸(一休自画賛)や、蓮如上人自筆の消息(書状)などの貴重な寺宝が伝えられています。これらは一般非公開ながら、光明寺の歴史と精神性を象徴する至宝として大切に守られています。
現在の本堂は昭和44年(1969年)末に再建された鉄筋コンクリート造の建物です。旧本堂は大正時代末期の北丹後地震(1927年)で倒壊し、その後、昭和30年(1955年)に仮本堂が建立されました。檀信徒の尽力により本格的な再建が進められ、現在の本堂が完成しています。正面石段を上った広間には阿弥陀如来坐像が安置され、法要の際には多くの門徒が参集します。
切妻造・薬医門形式の山門で、境内の正面入口にあたります。門上には寺号「光明寺」の扁額が掲げられ、門柱には浄土真宗本願寺派を象徴する下り藤紋が施されています。山門脇には「蓮如上人・一休宗純禅師御遺跡地」と刻まれた石碑が建ち、両師と光明寺との深い縁を今に伝えています。
山門を入って左手に位置する鐘楼では、大晦日に除夜の鐘を撞く行事が行われ、地域の参拝者も自由に参加できます。梵鐘の音色は周囲の住宅地にも響き、新年の訪れを告げる風物詩として親しまれています。
本堂裏手の一角には、武内宿禰およびその後裔・紀定盛の墓と伝えられる八基の石塔が安置されています。いずれが当人の墓に当たるかは明らかではありませんが、古くから地域では「武内宿禰の墓」として信仰され、史跡として大切に保存されています。
本堂脇には、平安時代の歌人・紀貫之の和歌を刻んだ歌碑が建てられています。「ふる雪に 木々の梢を ながむれば しろたえなれや みてくらのしま」と詠まれた一首は、御幣島の情景を詠んだものと伝えられ、静かな境内に文学的な趣を添えています。
1442年
(嘉吉2年)
紀貞之(法名:紹郡上人)が本願寺第8世・蓮如上人の教化を受け、御幣島の地に光明寺を創建しました。初代住持となった紀貞之は武内宿禰の後裔を称し、本尊に阿弥陀如来を安置して浄土真宗の道場を開きました。
1457年
(長禄元年)
光明寺開山である紹郡上人(紀貞之)が帰幽したと伝えられています。享年は不詳ですが、創建からおよそ15年後にあたるこの年に没したとされています。
文明年間
(1469~1487年)
臨済宗大徳寺の高僧・一休宗純が諸国遊化の途次、光明寺を度々訪れ逗留したと伝えられています。後年、一休自筆の自画像と賛を伴う掛軸が寺宝として伝来しました。
1580年
(天正8年)
石山合戦が終結し、織田信長が摂津国を掌握しました。周辺地域は戦乱の影響を受けたものの、光明寺は大きな被害を免れ、浄土真宗の法灯を守り続けたと考えられています。
1927年
(昭和2年)
北丹後地震(マグニチュード7.3)により本堂が倒壊しました。本尊の阿弥陀如来立像は無事でしたが、昭和30年に仮本堂が再建されるまで、約28年間にわたり庫裏に安置されました。
1955年
(昭和30年)
仮本堂が竣工し、本尊阿弥陀如来が再び堂内に安置されました。これを契機に本格的な堂宇再建への機運が高まり、檀家による募財活動が進められました。
1969年
(昭和44年)
昭和44年12月、現在の本堂が落成しました。鉄筋コンクリート造ながら和風寺院様式を踏襲した近代的本堂で、以後は年中行事や法要の中心となっています。再建後も境内整備が継続され、山門や墓所の整備など伽藍の維持向上が図られ、現在に至っています。