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光明寺こうみょうじ

浄土真宗寺院、樹齢400年の大イチョウが見守る古刹

所在地 大阪府箕面市西小路2-10-31
TEL 072-721-4555
宗派 浄土真宗本願寺派
山号 法城山
本尊 阿弥陀如来
創建 天文16年(1547年)
開基 土井宗喜

400年のチチイチョウと学びの歴史が息づく地域密着の寺院・光明寺

光明寺(こうみょうじ)は戦国時代中期の天文16年(1547年)に、当地の篤信の士・土井宗喜によって開かれた浄土真宗本願寺派の寺院です。創建当初は小さな草庵から始まり、その後永禄3年(1560年)には現在の箕面市西小路の地に移転・発展しました。江戸時代には火災や再建を経験し、近年では平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災でも被害を受けましたが、檀信徒の支えによって復興し、平成15年(2003年)には本堂の大規模改築が行われています。こうした度重なる困難を乗り越えてきた歴史を持ち、地域に根ざした寺として親しまれてきました。 光明寺はまた、明治時代初期に地域の教育にも貢献しています。明治7年(1874年)に現在の箕面小学校が光明寺の本堂を仮校舎として開校し、寺子屋の伝統を引き継ぐ学び舎となりました。本堂の雨戸には、当時の子どもたちが墨で書いた落書きが今も残されていると伝えられており、寺が地域の人々と歩んできた歴史の一端を感じさせます。長い年月の中で培われた信仰とともに、地域との深いつながりが光明寺の大きな魅力と言えるでしょう。

  • 境内

    境内は住宅街の一角に位置し、こぢんまりとしていますが静かな雰囲気が漂います。正面にはシンプルな山門(門)が構えられ、境内に入るとすぐに本堂が目に入ります。本堂は木造瓦葺きの伝統的な佇まいで、阿弥陀如来の御本尊を安置しています。平成15年(2003年)に改築された建物でありながら、歴史ある寺院らしい落ち着きを感じさせる空間となっています。本堂の横には小さな鐘楼(しょうろう)もあり、時折その梵鐘の音色が近隣に響き渡ります。大晦日には除夜の鐘が撞かれ、新年を迎える風情を味わうことができるでしょう。

  • イチョウの巨木

    山門脇には寺のシンボルともいえる樹齢約400年の大イチョウの巨木がそびえています。このイチョウは大阪府の天然記念物に指定されており、幹周り約3.9メートル・樹高約14メートルという堂々たる姿で境内を見守っています。特徴的なのは、幹や太い枝から鍾乳石のように垂れ下がる無数の「乳柱(ちちばしら)」と呼ばれる突起物です。その形状から地元では「チチイチョウ(乳銀杏)」と呼ばれて親しまれており、長寿の樹が放つ生命力に圧倒されます。秋が深まる頃には葉が鮮やかな黄金色に染まり、境内一面を明るく彩る光景は見応えがあります。参拝の際はぜひ足元の落ち葉とともに、この貴重なイチョウの木にも注目してみてください。

光明寺のあゆみ

  • 1547年
    (天文16年)

    教学寺の起源となる草庵を開く

    土井宗喜が本願寺第10世・証如上人の直弟子となり、箕面の地(北小寺)に草庵を結び光明寺の起源とする。

  • 1560年
    (永禄3年)

    現在地へ移転し本堂伽藍を整備

    寺を現在の箕面市西小路の地に移し、本堂伽藍を整える。

  • 1657年
    (明暦3年)

    火災により堂宇焼失

    11月に火災に遭い、堂宇を焼失。

  • 1690年
    (元禄3年)

    火災後に再建・再興

    8月、火災後に寺基を現在地に改め再興(再建)する。

  • 1761年
    (宝暦11年)

    第12世住職により堂宇を再建

    9月、第12世住職・周山により堂宇を再建。

  • 1874年
    (明治7年)

    箕面小学校の仮校舎となる

    光明寺本堂を仮校舎として箕面小学校が開校。当時の児童による墨書きの落書きが本堂の雨戸に残されている。

  • 1995年
    (平成7年)

    阪神・淡路大震災による被災

    1月17日、阪神・淡路大震災で本堂などが被災。

  • 2000年
    (平成12年)

    光明寺のイチョウが天然記念物に指定

    光明寺のイチョウが大阪府指定天然記念物に指定される。

  • 2003年
    (平成15年)

    本堂の大規模改築

    震災被害からの復興事業として本堂の大規模改築を実施。現在の本堂はこの年に新調されたものである。

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