関西の寺院3,000の歴史を取材
寺院253件の情報を掲載(2026年1月16日現在)

ホーム > 大阪府 > 光徳寺

光徳寺こうとくじ

顕如上人の弟子が開いた中津の古刹として、宗教と地域福祉の双方を担ってきた浄土真宗寺院

所在地 大阪府大阪市北区中津2丁目5-4
電話 06-6373-0064
宗派 浄土真宗本願寺派(西本願寺)
山号 房崎山
本尊 阿弥陀如来(阿弥陀如来立像)
創建 天正8年(1580年)
開基 佐伯祐西(顕如上人の直弟子)

佐伯祐三の生誕地として知られ、地域福祉にも尽力してきた浄土真宗の古刹

光徳寺(こうとくじ)は、大阪市北区中津に位置する浄土真宗本願寺派の寺院です。創建は天正8年(1580年)頃と伝わり、本願寺第十一世・顕如上人の直弟子であった佐伯源助(法名:祐西)によって開山されました。創建当初は「光庄寺」と称し、正保2年(1645年)には現在の「光徳寺」へ改められたとされています。本尊は阿弥陀如来で、山号は「房崎山」です。

江戸時代の光徳寺は、淀川沿いに茶畑や竹林が広がる広大な寺領を有し、本堂・庫裏・鐘楼・太鼓楼など七堂伽藍を備えた大寺院であったと伝わります。広い境内に堂宇が整えられ、地域の人々の信仰を支える存在でした。

光徳寺は近代日本洋画の巨匠・佐伯祐三(1898–1928)の生誕地としても広く知られています。祐三は光徳寺第13世住職・佐伯裕哲の次男として生まれ、後年パリへ渡って「郵便配達夫」など数々の名作を残しました。境内には「佐伯祐三生誕之地」の石碑と祐三の墓所があり、通行人が目にできるよう山門脇に移設されています。

さらに、光徳寺は宗教施設としてだけでなく、近代大阪の福祉史にも重要な足跡を残しています。祐三の兄で第15世住職の佐伯祐正は、大正9年(1920年)に住職を継承すると、翌年には自坊内にセツルメント(隣保事業)施設「光徳寺善隣館」を開設。地域の労働者や子どもを支援する夜間裁縫塾、図書室、女子寮、幼児保育など多様な活動を展開し、日本初期の仏教系セツルメント事業の先駆けと評価されています。

第二次世界大戦では光徳寺・善隣館ともに大空襲で全焼し、祐正も戦災ののちに逝去しました。しかし終戦後、焼け野原となった中津で寺院再建とともに隣保事業も再開され、戦災孤児や母子家庭の救済を行いました。昭和36年(1961年)には知的障がい児施設「中津学園」が開設され、現在まで社会福祉法人による障がい児者支援が続けられています。

このように光徳寺は、洋画家・佐伯祐三の生家としての歴史だけでなく、大阪における福祉活動の先駆者としての一面も併せ持ち、宗教と社会福祉の双方から注目される独自の存在となっています。寺院敷地内に福祉施設が併設されているため一般参拝は受け付けていませんが、地域に深く根ざした寺院として今日もその歩みを続けています。

  • 戦後再建された本堂と庫裏

    光徳寺の伽藍は太平洋戦争末期の大阪空襲で全焼し、現在の本堂・庫裏は戦後に再建された比較的新しい建物です。往時は入母屋造瓦葺きの壮麗な本堂や鐘楼を備えていたと伝わりますが、その姿は現存していません。

  • 寺院と福祉施設が一体化した境内

    境内には社会福祉施設「光徳寺善隣館 中津学園」の建物が並び、寺院と福祉施設の機能が共存しています。かつての広大な寺領は失われ、現代の光徳寺は地域福祉の拠点としての役割を大きく担う構成となっています。

  • 境内墓地と佐伯家の墓所

    境内墓地には佐伯祐三の家系である佐伯家代々の墓石が並び、通りからも一部を望むことができます。歴史ある墓所が光徳寺の長い歩みを物語っています。

  • 佐伯祐三生誕碑(門前)

    山門脇には大阪市教育委員会が設置した「佐伯祐三生誕の地」碑が据えられており、敷地外から常時見学が可能です。地域の歴史散策コースの一部としても紹介され、光徳寺の文化的価値を示す重要な史跡となっています。

  • 非公開寺院としての静かな佇まい

    現在、光徳寺の堂宇や仏像に文化財指定はありませんが、境内への立ち入りは関係者以外不可となっています。門越しに本堂の一部や碑石類が遠望でき、寺院・福祉施設が一体となった独特の景観を形成しています。

光徳寺のあゆみ

  • 1580年
    (天正8年)

    佐伯祐西による創建

    顕如上人の直弟子・佐伯祐西が中津の地に浄土真宗の一寺を創建。創建時の寺号は「光庄寺」であったと伝えられる。

  • 1645年
    (正保2年)

    寺号を「光徳寺」へ改称

    正保年間に寺号が「光徳寺」へ改称されたと伝わる。江戸期にかけて寺勢が整い始める時期となる。

  • 江戸時代

    七堂伽藍を備えた大寺として繁栄

    淀川沿いに広大な寺領を有し、本堂・鐘楼・太鼓楼など七堂伽藍を備える大寺院として繁栄。茶畑や竹林が広がる一万坪の境内を誇った。

  • 1898年
    (明治31年)

    洋画家・佐伯祐三が出生

    近代日本洋画を代表する画家・佐伯祐三が光徳寺第13世住職・佐伯裕哲の次男として当寺で出生。境内には祐三の生誕碑と墓所が残されている。

  • 1920年
    (大正9年)

    佐伯祐正が住職に就任

    佐伯祐三の兄・佐伯祐正が第15世住職となり、寺院の再興と地域福祉への取組みを進める基盤を整えた。

  • 1926年
    (大正15年)

    光徳寺善隣館の開設(セツルメント事業)

    寺院内に地域福祉施設「光徳寺善隣館」を開設。夜間学校・幼児保育・女子寮・日曜学校などを開き、当時の中津地域で先駆的な社会福祉活動を展開した。

  • 1945年
    (昭和20年)

    大阪大空襲で堂宇が全焼

    6月1日の大阪大空襲により本堂・庫裏・善隣館が全焼し、伽藍が壊滅。戦後、焼け野原となった中津で寺院と隣保事業の再建が進められた。

  • 1961年
    (昭和36年)

    知的障がい児施設「中津学園」を新設

    戦後の隣保事業を発展させ、知的障がい児のための入所施設「中津学園」を設立。光徳寺は福祉の担い手としての存在感を強めていく。

  • 1989年
    (平成元年)

    行政区再編で北区へ

    大阪市の行政区再編により、寺院所在地が大淀区から北区へ変更。現在の「大阪市北区中津」となる(行政史料に基づく)。

  • 2024年
    (令和6年)

    福祉施設の建替えと耐震強化

    社会福祉法人光徳寺善隣館中津学園の老朽化に伴う建替え工事が進行。南海トラフ地震への備えとして耐震強化を実施し、クラウドファンディング等で資金調達が行われている。

← 一覧に戻る