| 所在地 | 大阪府大阪市北区浮田2丁目1-7 |
|---|---|
| 電話 | 06-6371-7014 |
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
| 山号 | 正念山 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建 | 文禄4年(1595年)/開基:霊誉義空上人 |
佛照寺は大阪市北区に位置する浄土真宗本願寺派(西本願寺系)の寺院で、安土桃山時代の文禄4年(1595年)に霊誉義空上人によって開創されました。大坂城下の寺町として栄えた天満寺町において歴史ある寺院の一つとして知られています。
特に、慶長6年(1601年)に本願寺第12世・教如上人が開いた天満別院(真宗大谷派=東本願寺系)の創設に際し、佛照寺住職・祐恵が大きく尽力したことは有名です。その後も祐恵の子孫が江戸時代を通じて十一代にわたり別院住職(留守居役)を務め、「天満別院=佛照寺さん」と親しまれるほど深い関わりを持ちました。
江戸時代後期には大塩平八郎の乱に伴う騒乱などの影響で天満周辺に大火が発生し、佛照寺も堂宇を焼失しましたが、幕末の嘉永元年(1848年)に再建。その後、昭和20年(1945年)の大阪大空襲では奇跡的に戦災を免れ、江戸期再建の本堂が戦後まで残存しました。
しかし戦後の都市化に伴い堂宇の近代化が進み、現在の佛照寺は通りに面したビル状の建物の上階に本堂を構える形へと移行。外観からは寺院と気づきにくいものの、非公開寺院として安土桃山期から続く歴史を静かに受け継いでいます。
現在の佛照寺本堂は鉄筋コンクリート造のビル内部に設けられており、従来の寺院建築とは異なる都市型の伽藍構成をとっています。外観はオフィスビルのようで、注意していなければ寺院と気づかないほどの現代的デザインです。
道路の反対側から見上げると、建物上部に寺院風の屋根が見え、現代建築と伝統様式が融合した独特の意匠が確認できます。限られた敷地の中で寺院らしさを残す工夫が見られます。
幕末の嘉永元年(1848年)に再建された旧本堂は木造瓦葺きの伝統的寺院建築でした。現在は失われていますが、戦前まで残存していたその姿は、天満寺町の寺院景観を象徴するものとして記録に残されています。
現存する建造物や仏像に公的な文化財指定はありません。また寺院は一般非公開であり、通常参拝することはできませんが、都市空間の中で静かに信仰の場としての機能を保ち続けています。
16世紀末
(安土桃山時代)
豊臣秀吉の大坂城下町整備に伴い、城の北側に近在の寺院を集めた「天満寺町」が形成され始める。江戸初期までに天神橋筋を境に東西へ寺町が整い、地域の宗教文化の中心地となった。
1595年
(文禄4年)
霊誉義空上人によって創建され、浄土真宗の布教拠点の一つとして天満寺町に建立。大坂城下の寺院群の中でも古い歴史を持つ寺院として位置づけられる。
1601年
(慶長6年)
本願寺教如上人による天満御坊(のちの真宗大谷派天満別院)開基の際、佛照寺第2代住職・祐恵が尽力。以後、祐恵の子孫が十一代にわたり天満別院住職(留守居役)を務め、「佛照寺さん」の名で親しまれる由縁となる。
1837年
(天保8年)
大阪市中で大規模な火災が発生し、佛照寺も伽藍を全焼。天満寺町の多くの寺院が被災した歴史的大火として知られる。
1848年
(嘉永元年)
焼失から約10年を経て本堂が再建され、境内の堂宇復興が成る。以後、この再建本堂が江戸期建築として戦後まで残存した。
1945年
(昭和20年)
3月・6月の大阪大空襲の際、佛照寺は焼失を免れ、本堂をはじめとする江戸再建の堂宇が戦災を生き延びた。その後しばらく現存したが、老朽化などにより後年建て替えが行われた。
現代
平成以降、鉄筋コンクリート造の新本堂・庫裏が竣工し、都市型のビル寺院として再生。一般参拝は不可だが、大阪市北区浮田の地にて浄土真宗寺院として法要が営まれ続けている。