| 寺院名 | 日谷山 乗願寺(じょうがんじ) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市西淀川区百島1丁目3-106 |
| 山号 | 日谷山 |
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
| 本尊 | 阿弥陀如来(阿弥陀如来立像) |
| 創建 | 慶長年間(17世紀初頭) |
| 開基 | 丹波国の戦国武将(長澤家の祖先) |
乗願寺は、江戸時代初期の慶長年間(1596~1615年)に創建されたと伝えられる浄土真宗本願寺派の寺院です。寺伝によれば、開基は丹波国の領主で、西軍石田三成方として関ヶ原の戦い(1600年)に参戦した武将とされています。敗戦後に大阪の大野村(現・西淀川区大野地区)へ移住し、浄土真宗の道場を開いて当寺を創建したと伝えられています。この人物は後に僧籍に入り、初代住職(開山)となった可能性が高いと考えられています。
乗願寺の由緒を語るうえで欠かせないのが、寺に伝わる一寸八分(約5.5センチ)の小さな阿弥陀如来像です。この像は、開基の武将が兜の中に納めて戦場に携行したと伝えられており、関ヶ原合戦後も長澤家によって大切に受け継がれ、現在も秘仏として乗願寺に伝来しています。制作年代は明確ではありませんが、戦国期から安土桃山時代頃(16世紀末)の作と推定されています。
江戸時代を通じて、乗願寺は百島・大野新田地域の寺院として、浄土真宗の布教と門徒の教化に努めてきました。天保年間には本堂の再建や寺領の整備が行われたとも伝えられていますが、詳細な記録は多く残されていません。近代以降も長澤家の住職が代々寺務を継承し、地域の門徒を支えてきました。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)3月、大阪大空襲により西淀川区一帯は甚大な被害を受け、乗願寺も本堂を含む堂宇を戦災で失ったとみられています。戦後は仮本堂の建立を経て、昭和20年代後半までに本堂・山門・庫裏などの復興工事が完了し、寺院活動が再開されました。現在も同地で寺院としての歩みを続け、地域の葬祭や年中行事を担っています。
近年では、毎年8月6日の「平和の鐘つき」法要に協力し、広島原爆の日に合わせて平和祈念の鐘を撞く行事を行っています。このように乗願寺は、歴史的背景を受け継ぎながら、現代においても地域に根ざした活動を続ける寺院です。
本堂は戦後に再建された鉄筋コンクリート造平屋建ての建物で、入母屋造風の屋根を備えています。外観は質素ながら浄土真宗寺院の様式に則った構えで、正面には瓦葺きの向拝屋根が設けられています。内部には本尊・阿弥陀如来像が安置され、寺宝である一寸八分の小阿弥陀仏像も大切に保管されていると考えられますが、一般参拝者が堂内に入ることはできません。
境内入口には小ぶりな切妻屋根の山門が設けられています。木製の両開き扉を備え、正面上部には寺号を記した看板が掲げられています。昭和中期に再建された門で、現在は常時閉ざされており、門外から境内を望むかたちとなっていますが、門越しに本堂の姿を確認することができます。
境内には鐘楼堂こそありませんが、梵鐘が設置されています。この鐘は戦後に新たに鋳造されたものと推測され、毎年8月6日には平和祈念法要の一環として撞かれています。鐘は簡易な櫓や台座に吊るされているとみられ、地域住民や門徒が集う行事の象徴的存在となっています。
本堂脇には庫裏(住職住宅)があり、こちらも戦後に建て替えられた建物です。寺域は比較的コンパクトで、本堂と庫裏に挟まれる形で小さな庭が設けられています。境内には墓地は併設されておらず、門徒の墓は近隣の共同墓地に設けられていると考えられます。境内は常時閉鎖されているため、一般の訪問者が立ち入れるのは門前までとなっています。
1600年
(慶長5年)
開基とされる丹波国の領主が、関ヶ原の戦いで西軍として参戦しました。この際、一寸八分(約5.5cm)の阿弥陀如来像を兜の中に奉持していたと伝えられています。
1601~1615年
(慶長年間)
関ヶ原敗戦後、開基は大阪の大野村へ移住し、浄土真宗の道場を開設しました。これが現在の乗願寺の起源とされています。
1630年
(寛永7年・推定)
本願寺より寺号「乗願寺」を許され、正式な寺院として成立したと推定されています。同時期に周辺新田の開発が進み、寺は地域住民の信仰拠点となりました。
1843年
(天保14年・推定)
江戸時代後期の寺院整備に伴い、本堂が再建されたと伝えられています。地域寺院としての体制が整えられました。
1945年
(昭和20年)
3月の大阪大空襲により西淀川区一帯が壊滅的被害を受け、乗願寺も本堂・山門などの堂宇を焼失したとみられています。
1950年前後
(昭和中期)
戦後復興により、本堂・山門が再建されました。コンクリート造の本堂が完成し、長澤範行住職のもとで寺院活動が再開されました。
2000年代
(平成期)
老朽化した施設の補修や防災設備の充実など、境内整備が進められました。
2010年以降
(平成末期~令和)
地域合同の「平和の鐘つき」行事に協力し、毎年8月6日に梵鐘を撞いて戦没者追悼と恒久平和を祈念する法要を実施しています。現在も一般参拝は受け付けず、門徒中心の運営が続けられています。