所在地 | 大阪府豊中市服部本町1丁目8-21 |
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宗派 | 高野山真言宗(宗祖:弘法大師空海/本山:金剛峯寺) |
山号 | 安楽山 |
本尊 | 不動明王(両脇に十一面観音・大黒天) |
創建 | 大正末期(1920年代)創建〈明治末期に布教所設立〉 |
開基(創立者) | 貞照尼(初代住職の尼僧) |
寺宝・文化財 | 一位(イチイ)の大木から三尊(不動明王・大黒天・十一面観音)を一体に彫り上げた珍しい一木三尊仏を安置。 また、大仏師・松久朋琳作の極彩色の大日如来像も奉安されている。 |
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大阪府豊中市服部本町にある高野山真言宗の寺院・安楽山不動院は、地元では親しみを込めて「お不動さん」「お大師さん」と呼ばれています。 宗祖は弘法大師空海で、本山は和歌山県高野山の金剛峯寺に属します。 本尊には不動明王を祀り、両脇には十一面観音菩薩と大黒天が安置されています。 真言密教の教えに基づき、毎月護摩が焚かれ、参拝者の祈願や供養が行われています。
明治時代末期、初代住職の尼僧・貞照尼(ていしょうに)が現在の豊中市北条付近に布教所を開設したのが始まりです。 その後、大正末期に高野山真言宗管長・金山穆韶猊下(かなやま ぼくじょう げいか)の推挙を受け、正式に「安楽山不動院」として創建されました。 女性僧侶による開基という点でも珍しく、信仰と慈悲の心を広めた寺として知られています。
第二次世界大戦中には、寺院が大阪府によって接収され、近隣住民の防空避難場所として使用されました。 戦後、代替地として現在の服部本町に移転し、再び不動明王の霊場として再興されます。 以来、地域の信仰の中心として多くの檀信徒と参拝者に支えられ、 今もなお「お不動さん」の愛称で親しまれながら、人々の願いと祈りを受け止め続けています。
不動院の本堂は、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災で被災した後、 檀信徒の厚い支援と信仰によって再建され、平成11年(1999年)5月に落慶しました。 現在の本堂は近代的でありながら威厳を保ち、中央には本尊・不動明王、 両脇に大黒天と十一面観音を一木から三方に刻んだ珍しい「一木三尊仏」が安置されています。 この仏像は一位(イチイ)の木から彫り上げられ、三方向から異なる尊像を拝することができる全国的にも稀有な寺宝です。
本堂内には、仏師・松久朋琳による極彩色の大日如来像も奉安されています。 現代仏教彫刻の名作として高く評価されるこの像は、不動明王像と並び寺院の信仰と芸術性を象徴しています。 不動院の堂内では、伝統と現代美が共存し、参拝者に深い感銘を与えます。
不動院では、毎月18日に所願成就を願う護摩祈祷が厳修され、境内は多くの参詣者で賑わいます。 特に元旦0時から行われる「初護摩」は一年の無病息災・家内安全を祈願する新年恒例の行事で、 百八本のろうそくが参道に灯され、厳かな中にも温かさに満ちた光景が広がります。 地域の人々にとって、年の始まりを告げる大切な信仰行事となっています。
境内には地蔵菩薩像が祀られており、毎年8月24日には子どもたちも参加する地蔵盆が行われます。 また、2月3日には節分祭として護摩祈祷と豆まきが盛大に催され、 6月15日には宗祖・弘法大師の誕生を祝う「青葉まつり」が開催されます。 四季を通じて行事が受け継がれ、地域住民と寺院が一体となった文化交流の場となっています。
明治時代末期(1910年代初頭)
初代住職である尼僧・貞照尼が修行を重ね、大阪・豊中市北条の地に不動院の前身となる教会(布教所)を設立。 女性僧侶による開教として珍しく、地域に真言密教の信仰を広めた。
大正時代末期(1920年代)
高野山真言宗管長・金山穆韶猊下(かなやま ぼくじょう げいか)の後押しにより、 「安楽山不動院」として正式に寺院が創建される。 当初は豊中市北条に本堂が建立され、地域信仰の中心として発展した。
昭和20年前後(1940年代)
太平洋戦争中の大阪大空襲の際、寺院が大阪府に接収され、近隣住民の防空避難所として提供される。 戦後、旧寺地の代替として豊中市服部本町に移転し、寺院を再興。 不動明王の信仰が再び地域に根付いた。
1995年(平成7年)
1月17日の阪神・淡路大震災により本堂が損傷被害を受ける。 檀信徒の協力を得て再建計画が立ち上がる。
1999年(平成11年)
檀信徒の篤い支援により新本堂が完成し、5月に落慶法要が営まれる。 現在に至るまで、安楽山不動院は地域の信仰拠点として毎月の護摩祈祷や年中行事を継続している。