| 所在地 | 大阪府大阪市北区本庄西1丁目13-10 |
|---|---|
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建 | 明治時代(四国・香川の三寳寺により布教所として開設) |
| 住職 | 赤松俊明(第4世) |
| 電話 | 06-6371-9090 |
三寳寺は、大阪市北区本庄西に位置する浄土真宗本願寺派(西本願寺系)の寺院です。創建は明治時代に遡り、四国・香川県東かがわ市にある同派寺院「三寶寺」を本寺として開かれた布教所「赤松説教所」がその始まりとされています。当時はほぼ毎日のように法座(仏教説教の集い)が開かれ、多くの門徒が阿弥陀如来の教えを聴聞するために集まったと伝わります。
浄土真宗では、親鸞聖人の教えに基づく「聞法(もんぽう)」、すなわち阿弥陀如来の御法話を聞くことが大切にされます。三寳寺の起源には、この聞法の精神が色濃く息づいており、布教の場として地域の信者に寄り添う寺院として発展してきました。もともと一般参拝を目的としていない布教所であった経緯から、現在も非公開寺院として運営されています。
戦後、「三寳寺」の寺号を正式に名乗る寺院として昇格し、大阪教区の北組に属する一寺院となりました。現在の住職は第四世で、比較的新しい寺院ながら、創建当初からの法灯を継承し、門徒中心の法務を続けています。毎月11日には午後2時からの月例法座が開かれ、地域の門徒が阿弥陀如来の御前に集い、お念仏と法話に耳を傾ける場が今も大切に守られています。
三寳寺の本堂は昭和中期以降に再建された鉄筋コンクリート造の建物で、白壁の正面上部には浄土真宗本願寺派の寺紋である「下がり藤」が掲げられています。内部は畳敷きの広間で、本尊・阿弥陀如来像を安置し、法要の場として門徒が集います。
山門は本堂正面に設置された木製の素朴な門で、門柱には「浄土真宗 三寳寺」の額が掲げられています。山号は掲げられておらず、布教所から発展した寺院らしい控えめな造りが特徴です。
境内は小規模ながら、本堂・山門・庫裏といった主要伽藍が整然と配置されています。創建当初は簡易な布教所の設備でしたが、戦後に正式な寺院となってから少しずつ整備が進められてきました。
広大な墓地こそありませんが、境内には納骨堂や永代供養の施設が備えられ、地域門徒の遺骨を安置できる環境が整えられています。近代創建の寺院として、現代のニーズに合わせた寺院運営が行われています。
三寳寺は一般公開されておらず、境内の参拝や内部見学は門徒以外には原則不可です。文化財指定された建築物はありませんが、日々の法要や行事を通して信仰の伝統を守る、地域密着型の寺院として存在しています。
1573年
(天正元年)
現在の香川県東かがわ市に浄土真宗本願寺派の寺院「三寶寺」が創建される。開基は赤松庵正清で、顕如に帰依して一向宗へ転じ一宇を建立。大阪の三寳寺の本寺となる寺院である。
明治時代
(19世紀末頃)
四国・香川の三寶寺が大阪市北区本庄西の地に布教所「赤松説教所」を設置。大阪に移住した門徒のための布教拠点として活動が始まる。これが現在の三寳寺の起源となる。
明治〜大正期
赤松説教所では毎日のように法座が開かれ、阿弥陀如来の教えを聞こうと多くの同行(門徒)が集まり賑わった。本寺・三寶寺の出先機関として機能していた時期である。
戦後
(昭和中期)
戦後、布教所から独立した寺院として昇格し、「三寳寺」の寺号を公称。浄土真宗本願寺派大阪教区・大阪北組に所属する寺院となり、宗教法人格を取得。本堂など伽藍の整備もこの頃より進められたとみられる。
平成〜令和期
(現代)
赤松家による住職継承が続き、現在の住職は第四世。毎月11日の定例法座(常例法座)を中心に門徒が阿弥陀如来の御前に集う場を守り続けている。一般参拝は受け付けない非公開寺院として、必要な法務を中心に活動している。