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飯盛山 一乗寺いちじょうじ

四日市一乗寺を源流とし、戦後に独立寺院として再興された真宗高田派の道場

寺院名 飯盛山 一乗寺(いちじょうじ)
所在地 大阪府大阪市北区大淀中5丁目7-17
宗派 真宗高田派(浄土真宗の一派)
本尊 阿弥陀如来(善光寺式阿弥陀三尊)
寺格・性格 地域門徒中心の小規模寺院/一般参拝不可
建物 近代的建築(地域コミュニティの拠点として機能)

四日市の一乗寺を源流とし、戦災からの復興を経て大淀で歩みを継いだ真宗高田派の寺院

飯盛山一乗寺(いちじょうじ)は、その起源を大正時代に持つ比較的新しい寺院です。三重県四日市市水沢町にある真宗高田派の本寺「一乗寺」の住職・玄隆が、大正年間(1912〜1926年)に大阪で布教活動を行うための拠点(布教所)として当地に開設したのが始まりと伝えられています。当初は四日市の一乗寺の「出張所」のような位置づけで、正式な寺院としての寺格は持っていませんでした。

しかし、第二次世界大戦の戦災が寺の大きな転換点となります。大阪大空襲により大淀一帯は甚大な被害を受け、一乗寺も伽藍を焼失しました。戦後、先代住職・弘誠により寺院が再興され、この時正式に寺号「一乗寺」を掲げる独立寺院としての歩みをスタートさせました。戦前の布教所から、戦後を期して一寺院として再出発した重要な節目です。

昭和56年(1981年)には、老朽化した建物の建て替えが現住職・隆誠(りゅうせい)によって行われ、鉄筋コンクリート造の現在の堂宇が完成しました。この再建により、現代的で堅牢な本堂が整備され、今日に至るまで地域門徒の信仰拠点として機能し続けています。

  • 鉄筋コンクリート造の現代的本堂

    一乗寺の本堂は鉄筋コンクリート造の3階建てビル型建築で、都市空間に適応した構造を採用しています。外観は現代的ながら、正面入口の瓦屋根風の庇により寺院らしさが表現されています。

  • 山門を持たない都市型伽藍

    専用の山門はなく、本堂建物の玄関がそのまま寺院の入り口となる都市型構成です。敷地は市街地の住宅街に位置し、広い伽藍配置はありませんが、本堂内部には阿弥陀如来を中心とする荘厳が整っています。

  • 住宅街と新淀川に近い立地

    大阪市立大淀小学校の西隣に位置し、新淀川にも程近い住宅地の中に建ちます。地域の生活圏に自然に溶け込んだ寺院です。

  • 宗教行事と地域活動の両役割を担う本堂

    本堂では法要だけでなく、サロンコンサートやグリーフケアの集い(「悲しみを語る会」)などが開催され、地域コミュニティサロンとしての役割も果たしています。檀信徒向けの活動が中心で、一般の飛び込み参拝は不可です。

一乗寺のあゆみ

  • 1920年代頃
    (大正時代)

    一乗寺大阪布教所の開設

    三重県四日市市水沢町の真宗高田派「一乗寺」住職・玄隆が、大阪市大淀に布教所(一乗寺大阪出張所)を開設。現在の寺院の起源となる。

  • 1945年
    (昭和20年)

    大阪大空襲で伽藍焼失

    大淀地域が壊滅的な被害を受け、一乗寺の伽藍も焼失。寺院存続の危機となった大きな転換点。

  • 昭和20年代後半
    (戦後)

    寺号「一乗寺」として再興

    前住職・弘誠が焼け跡から寺院を再興し、宗教法人格を取得。布教所から独立した正式な寺院「一乗寺」として再スタートを切る。

  • 1981年
    (昭和56年)

    現本堂(鉄筋コンクリート造)の再建

    老朽化した堂宇を現住職・隆誠が全面改築。鉄筋コンクリート造の三階建て本堂が完成し、現在の伽藍の基盤が整う。

  • 平成以降

    地域コミュニティの場としての活動

    本堂で音楽コンサートやグリーフケア(悲しみを語る会)などを開催。平成29年頃にはテノール歌手と尺八・ピアノによるコンサートを実施するなど、寺院が地域文化の発信拠点としても活用されている。

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