| 所在地 | 大阪府豊中市今在家町9-9 |
|---|---|
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺系) |
| 本尊 | 阿弥陀如来(木造立像) |
| 創建 | 不詳(江戸時代以前に創建されたと伝わる) |
| 電話 | 06-6863-6637 |
| 拝観時間 | 9:00~17:00(概ね日中は参拝可能) |
専光寺(せんこうじ)は、大阪府豊中市今在家町にある浄土真宗本願寺派(西本願寺系)の寺院で、地域に深く根ざした門信徒の寺として数百年の歴史を誇る。 本堂には阿弥陀如来の木造立像が安置され、浄土真宗寺院特有の荘厳な須弥壇(仏壇)を備える。 訪れる人々は、静けさの中にも温かみのある雰囲気を感じることができ、「住職が人当たりよく親しみやすい」との声も多い。 そのため、観光客にとっても親しみやすい地域密着型の寺院として知られている。
専光寺の歴史は、地域と共に歩んできた物語そのものである。 第二次世界大戦中の大阪空襲では本堂をはじめ境内の堂宇が焼失する大きな被害を受けたが、戦後に檀信徒や地域住民の尽力により再建を果たした。 火災の際には「お寺を守ろう」と住民総出で火を消そうとしたという逸話も残っており、専光寺がいかに地域社会の精神的支柱であったかを物語っている。 現在も報恩講、盂蘭盆会などの年中行事や、年末の除夜の鐘などを通じて、地元住民とともに信仰と伝統を守り続けている。
境内は常時開放されており、拝観料は不要。 特別な行事日を除けば、事前の連絡がなくとも日中に自由に参拝することができる。 観光目的での訪問も歓迎されており、静かな住宅街の中で地域史や仏教文化に触れることができるスポットとして人気がある。 長い歴史を受け継ぎながら、今も人々の心に寄り添い続ける寺院である。
専光寺の正門にあたる山門は、伝統的な切妻造瓦葺きの門である。 現存する山門は昭和20年(1945年)の大阪空襲を免れた数少ない建造物の一つで、戦前の姿を今に伝える貴重な遺構。 黒ずんだ柱や梁には長い年月を経た風格が漂い、地域の人々を見守り続けてきた歴史が刻まれている。
山門と並び、空襲の戦火を生き延びた鐘楼も専光寺を象徴する存在。 堂々とした屋根の下には青銅製の梵鐘(寺鐘)が吊るされ、普段は静かに時を告げている。 大晦日には「除夜の鐘」として108回撞かれ、地域の希望者も参加可能。 澄んだ鐘の音は年末年始の風物詩として今も多くの人々に親しまれている。
現在の本堂は戦後に再建された木造瓦葺きの堂宇である。 かつての本堂は空襲で焼失したが、昭和30年前後に檀家の協力により再建が成し遂げられた。 内部正面には浄土真宗の本尊・阿弥陀如来像を安置し、金箔や荘厳具で飾られた内陣が整う。 法要の際には住職と門徒が正信偈を唱和し、厳粛な雰囲気に包まれる。通常は閉扉されているが、外からでもその荘厳な姿を拝観できる。
本堂の隣には庫裡(くり)があり、住職や寺族の生活・寺務の中心として機能している。 境内には檀信徒の墓地が広がり、整然と並ぶ墓碑が地域の歴史を物語る。 墓地内には地蔵石仏や慰霊碑などの小さな石造物も点在し、訪れる人々に過去への祈りを促す。 境内には休憩スペースや水場、トイレも備えられており、参拝者に優しい環境が整えられている。
専光寺の境内には桜やイチョウなど四季を彩る樹木が植えられている。 春には桜が花を咲かせ、秋には紅葉が本堂や鐘楼を包み込む。 住宅街の中にありながら、自然の移ろいを感じることができる静寂な空間は、訪れる人々に安らぎを与えている。
戦国~江戸期
正確な創建年は不明だが、石山本願寺に帰依した門徒によって当地に開かれたと伝わる。 近世を通じて豊中地域の浄土真宗寺院として信仰を集め、村人たちの菩提寺として法要や行事が続けられた。
1945年(昭和20年)6月15日
大阪大空襲の際、旧猪名川沿いにあった専光寺の本堂・庫裡などの堂宇が焼失し、山門と鐘楼のみが焼け残る。 当時、住民たちは「お寺が大切」と消火に奔走したが猛火の前に為す術なく、寺と周辺地域に甚大な被害が出た。 その中で焼け残った山門と鐘楼は、現在も戦災の記憶を伝える貴重な存在となっている。
1945年~1950年代
終戦後、地域の檀信徒が力を合わせ、焼け残った山門と鐘楼を生かして寺院の復興を開始。 仮本堂で法要を再開した後、本格的な再建工事を進め、昭和30年代までに本堂を含む主要建物の復興が完了した。 戦後の再建は、地域住民の信仰と団結を象徴する出来事である。
平成以降
寺宝や文化財の指定はないが、地域史の生き証人として存在感を保つ。 現在も報恩講や永代経などの法要を行い、門信徒だけでなく一般参拝者にも開かれた寺院として活動。 拝観料不要で日中は自由に見学ができ、豊中市の文化・観光スポットとして静かな人気を集めている。